わーくすてーしょんのあるくらし (15)
1999-03 大橋克洋
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医療の世界も、いよいよ好むと好まざるとに関らずコンピュータ を使わざるを得なくなってきました。 例えば、今後始まる介護保険において、介護ケアプランの立案 は、とても面倒な作業のようで、ケアマネージャは大変です。先日 ある講演でケアプランを立てるためのソフトウエアのプレゼンテー ションを見て感激しました。介護対象者の状況を判断しながら評価 してゆくのですが、状況をわかりやすい絵(アイコンではない)で 示しながら、どんどん選択してゆくとプランができあがってくるも のです。国産のソフトウエアで感心するものは余り見たことはない のですが、これはなかなか優れものでした。
「手作業では到底短時間で処理できないことがわかったのでコン ピュータ化した」との説明でしたが、「さもありなん」と誰もが納 得するものです。 また在宅医療や、かかりつけ医などにおいては、医師やコ・メデ イカル、患者の間でのコミュニケーションと共通の基盤とする情報 が必要となります。この忙しい時代にそれをスムースに行うには、 コンピュータとネットワークは必須となってくるに違いありませ ん。まさに私の考える電子カルテの延長線上にあるものです。 厚生省も「医療の電子化」へ向けて、いよいよ本腰を入れてきて いることが、随所にうかがわれます。
医師会で、コンピュータに関する意識調査をしてみました。 わが地区は全国でもそのような意識の最も遅れている東京の中 で、さらにもっとも意識が低いと内心嘆いていたのですが、「今後 コンピュータを使うべき必要性を感ずる」という回答が意外に多 かったのです。しかも70才以上の会員の方からの回答率も、意外 に多かったのも印象的でした(もちろんその年齢層の母集団が大き いということもありますが)。
このように、多くの人が「もうコンピュータは必要」と考えなが ら踏みきれないのは何故でしょう。最大の理由はやはり「コン ピュータ・アレルギー」と思います。「アレルギー」という理由は 「本当に使えない」のではなく、「自分には使えないんだ、と思い こんでいる」ことです。その証拠に何もアレルギーのない子供たち は、教わらないでも、どんどん触って身につけて行きます。
「下手にいじって壊すのではないか」など考えるからいけないの です。テレビやビデオ、あるいは自動車などもかなり複雑な機械で すが、そのようには考えないでしょう。壊れたっていいじゃないで すか。自動車など何度も壊しているはずです。
特にお医者さんにアレルギーが強いのは、完全に「教養が邪魔し ている」からです。本来幼稚園の子供でもそこそこに扱えるコン ピュータを、大学まで出た大人が触れないというのは、「ちゃんと 使えないといけない」など、何か余計なことを考えるからです。 もっと素直になれば、何ということはないのに。
コンピュータが三度のメシより好きで、もう20年もやっている 私でも、今までに本を読んだだけで理解できたことは皆無と言って よいでしょう。本を読んだ後の感想は、「何となくわかったようで いて、結局はよくわからない」です。スペシャリストの話を聞いて も駄目。そんな時は「まず触ってみる」これが一番です。 ちょっと触ってみれば、今までの霧のようなモヤモヤが、さっと 氷解します。コンピュータは実践あるのみ。
そこで触ってみようという気持ちになったら、お勧めの機種の一 つが iMac です。ここのところ何度か書いてきましたが、私は Apple 社から一銭ももらっているわけではありません。心からそう 思うことを書いているだけです。前にも書いたように、大変ファッ ショナブルなスタイルなので、大抵の女の子に「iMac って知って る?」と尋ねると、名前くらいは知っているようです。
私自身はあのスタイルにそれほど惚れてはいませんが、あの「価 格」であの「性能」と「使いやすさ」は絶対にお買い得と思うから です。みかけはオモチャ風でも、決してただものではありません。 「買ってきたら箱から出して電源をコンセントにさす」これだけ ですぐ使えてしまうのがウリです。
自宅の居間の古い Mac を iMac にリプレースしてからは、夜に なると末娘や家内が前に座って盛んに利用しているようです。 実際に何をやっているかは見ていませんが、やはり e-mail を使 うことが多いようです。今まで e-mail など殆ど使ったことのな かった家内も、長女の縁談が持ち上がったりして、その打ち合わせ に e-mail を使うようになりました。長女は独立して一人暮らしを しているのですが、勤めで帰りが遅かったりして、時間帯が合わな いことが多いのですが、e-mail であれば時間を合わせる必要もあ りません。
私には子供が5人いますが(そのうち3人は独立して家にいませ ん)それに家内と私を入れて家族だけで7名(次女はすでに所帯を もっていますし、今度長女が所帯を持つので、すぐ9名になります ね)のメーリングリストができてしまいます。 末娘の方は、さすが若いだけあって、どんどん e-mail のやりと りの量も増えていそうです。 そんな訳で、私としては嬉しい限りですが、私自身が iMac に触 る機会はその後余りないので、iMac レポート第二弾はいつのこと やら。その頃にはもう iMac も新鮮野菜ではなくなっていることで しょう。
もう眠くなったので寝ようと思い居間を通ると、娘が「パパも やってごらん」と言います。何かと思ったらキーボードの早撃ち練 習ソフトでした。病院勤めの長男がインストールしてくれたのだそ うです(彼は PowerMac を買って持ち歩いているようです。勤務医 には、やはり持ち歩けるマシーンは必須ですね)。最近よく広告を 見かける西部劇の早撃ちスタイルのではなく、画面にキーボードだ け表示されるシンプルなものです。
やってみると、要するにキーボード版モグラ叩きです。キーの一 つの色が変わるので、ブラインド・タッチでそのキーを叩くと音が 出るという仕掛けです。キーボードを日常使うようになってから、 もう20年になります。「パパはきっと早いわよ」と脇から家内の 声もありましたが、 アルファベットはともかく、 キーボード周辺部 の ; だとか / だとか数字になると、そう早くは打てません。
「こんなものできなくても、ブラインド・タッチできるワイ」と 捨てゼリフを吐いて寝室へ向かい、失笑をかいました。まあ、負け 惜しみはともかく、日常の文章をストレスなく流れるように打つこ とと、キーボード版モグラ叩きとの相関関係は余りないな、という のが実感です。 アルファベットの文字位置を指に覚え込ませる初期段階では、あ る程度の効果はあると思いますが、早さにこだわる必要はないと思 います。無理に早くしようとすれば「どもり」になるかも(?)
では、私はどうやってブラインド・タッチを習得したのでしょう か。コンピュータを使い始めて、結構長い間ブラインド・タッチは 身につきませんでした。4、5年はキーボードに目を落としながら タイプしていたと思います。大学の後輩達がコンピュータを使うの を見ていると、かなりの早さでブラインド・タッチをしています。 「わー、やはり格好良いな」とは思いましたが、まだ何としてもブ ラインド・タッチをしなければならないという必然性がありません でした。
で、「ブラインド・タッチを何としても習得しなければ」という 思いに至ったのは、このエッセイの11回目で書きましたが、高橋 先生と画面上でネットワーク越しにお話をする CHAT がきっかけで した。
画面の上に相手からのメッセージが電光掲示板のように流れるの を見ながら、こちらもメッセージをタイプしなければなりません。 こうなると、どうしてもブラインド・タッチが必要になります。 「よーし、一週間だけ、じっと我慢してキーボードを見ないで打 つようにしよう」と決心したのでした。それはまさに靴の上から足 を掻くような思いでしたが、目標の一週間目に達した時、まがりな りにもブラインドで打てるようになっていたのです。
このような経験は、その後も何度かしています。そして、いずれ も成功しています。UNIX の上の素晴らしいエデイター Emacs を習 得する時がそうでした。Emacs には Lisp 言語が組み込まれてい て、その中にいれば e-mail でも何でも通常の仕事は殆どすべてで きてしまう優れもののエデイター(しかもフリー・ウエア)です。 しかし、すべてのコマンドを暗記しキーボードから打ち込まねばな らないので、初心者にとってはなかなか「最初の垣根」の高いエデ イターなのです。
Emacs が素晴らしいということは、UNIX 仲間からイヤというほ ど聞かされてわかってはいたのですが、何度かトライしてはメゲて いました。しかしある時、一念発起して「一週間だけじっと我慢の 子」をやってみたところ、クリアできました。これが元で、その後 の電子カルテ実現へとつながったのです。
つらい期間、うまくいかなくてイライラする期間は、大体一週間 です。そしてある一線を越えると、あとは毛糸のセーターをほどく ようにスラスラと行くものです。世の中のコンピュータ・アレル ギーでメゲている人たちも「一週間だけ我慢すれば何とかなるに」 と、そう思います。
今までの経験でひとつだけ、一週間ではクリアできなかったもの があります。それは以前も書いたように NeXT のオブジェクト指向 開発環境の習得でした。これだけは最初の垣根が高く大分苦労しま したが、一線を越えてしまえばあとは毛糸のセーターでした。