わーくすてーしょんのあるくらし ( 380 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
わーくすてーしょんのあるくらし ( 380 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
自分を良く見せようと常に去勢をはるのはエネルギーの無駄。「あるがまま」なら、そんな無駄なことに神経すり減らすことはない。スポーツや武術でも最大の威力を発揮するのは「リラックスして力の抜けたとき」。情けない「あるがまま」の自分がイヤなら、外見でなく中から自分を磨くようにしよう。
年頭にあたり「何か年頭の抱負でも書かなきゃ」と頭をめぐらすものの、リタイア後の生活に浸かってしまい これと言った洒落た文句もでてきません。
そこで、たまたま毎年楽しみのダカールラリーを観ながら思いついたこと。「元気にぶっ飛ばっそうぜ」を今年の抱負にしようかと。心意気だけで、身体はついていけないに決まってるけど、、
2025巳年とするところ、2024辰年になってるのに今 気がついた。コピペ修正し忘れたまま賀状だしてしまった、ごめんなさい。
今月から2025年、考えてみればあの2000年から、もう1/4世紀を経てしまったのか。西暦2000年を迎える前年、当時の非力だった多くのコンピュータのタイムスタンプは下2桁しか扱っておらず、2000年になると誤動作を生ずる(下2桁の扱いでは1901年と2001年を区別できない)という「2000年問題」で世間はザワザワしていました。
これは主に Windows を使っていた人達の不安でしたが、私は NeXT( Apple を追い出された Steve Jobs が開発。UNIX 系 OS を搭載したマシーン)を使っていたのでまったく不安を抱くことなく、実際に年が明けても何の問題もありませんでした。そして、ザワついていた世の中も、技術者たちの対応が功を奏したのか問題は発生しなかったようです。
という想い出深い2000年でしたが、私にはつい昨日のことのように思えます。歳をとると月日の流れはどんどん早くなる。ああ、次の1/4に自分はもう居ないわけだな、とか
正月2日、3日に毎年楽しみな箱根駅伝を堪能。今年は往路最後まで中央大学がブッチギリの先頭を行っており「お、」と思っていたのですが、往路最後の箱根の登りで青学が中央に追いつき抜き去って往路優勝。復路はそのまま青学が先頭をキープし追手町のゴールを切って優勝、強い青学が帰ってきました。
いつもは箱根駅伝を観戦しながらお銚子を傾けチビリチビリやるのが正月の楽しみのひとつだったのですが、今年は楽しみだった日本酒もやる気になりません。つまり歳をとってお酒も弱くなったということ。両親ともに酒は強い方で、私も若い頃は「アルコールならガソリンでも灯油でも持って来い」などと豪語していたものですが、私の肝臓にもうあんな強さはありません。だからと言って別にショゲルこともなく「そりゃあ、そうさ、歳になればそんなもの」と淡々としています。「あるがまま」を受け入れるのが幸せのもと。
3日なって末娘が倦怠感・発熱でダウン、昨年から巷で猛威を振るっていたインフルエンザとうとう発症したようです。家内も翌日ダウン。一人元気な私がスーパーや薬局に買い物に出ていますが、歳をとると寒気で頭が滅法寒いのに気付く。年齢の割には毛髪ある方なのですが、毛髪が細くなり密度も落ちたためでしょう。次からは帽子をかぶって出掛ける。
私もインフル来るなら来いと自然体で受け止めるつもりでいますが、今のところは大丈夫。小学生の頃はしょっちゅう風邪をひいては学校を休んでいましたが、開業してからは滅多に風邪をひくことなく寝込んで診療を休んだことも2,3回ぐらいしかなかったんではないかなと。しかし今となっては年齢もあるし暇もあるので、感染すればゆっくり寝るつもり。大人になっても発熱には滅法弱いしね。
・・・
ということでしたが、とうとう私は感染することなく元気で過ごすことができました。「世の中、予測とは反対に動く」ということですね。「あるがまま」が良かったのか
雨上がりの朝7時、見たことのない鮮明な虹を見ました。朝の虹は初めて。これを見た人は皆スマホを向けてました。
ネットの記事にふんふんと同感してしまった、ご同輩!
いつでもどこかしら痛かったりする
おしっこ「本当にもう終わったんだよな」と念押したのに、チャック閉めるとチョロっとでる
いつどこでぶつけたか判らないあざがある
「あっ」と思い立ち上がったけど、何が「あっ」だったか立った瞬間忘れる
昔のことは鮮明に思い出せるのに数秒前のことが思い出せない
何かやっている時に話しかけられると間違ってしまう。一度に2つのことができにくくなった
「ついこないだ」の単位が10年や20年だったりする
あの俳優、顔は鮮明に思い出せるのにどうしても名前が思い出せない、ふとした時すっと思い出すことがよくある
唾液でむせて咳き込むことがよくある。こないだもコーヒーをキーボードに吹いた
歩いていて人に追い越されることなかったのに小学生に追い抜かれる
うっかり背伸びするとふくらはぎがつる
何もしていないのに足の親指がつる
とにかくつる
ぶっちゃけ最近のジャニタレは見分けがつかない
洋画、邦画に限らず昔の映画をみると「あー、あの時代は時間がゆっくり流れていたんだな」と思う
ショップのお姉さんが早口で何か説明してくれるが、聞き直してもよく判らないついて行けない
どこの会に行っても昔からの知人が少なくなった
どこの会に行っても知らない若い人が多くなった
どこの会に行っても最年長になっていて、乾杯の挨拶や閉会の挨拶をさせられる
同窓会の幹事が「今日は病気の話はしないこと」。そしたら話題がなくなった
ベビーカーを「乳母車」ハンガーを「衣紋掛け」と言って笑われた
私が追加したのもあります。いくつ思い当たりますか?
私の住む周囲にはタワマンを筆頭に雨後の筍のようにビルが林立。この景色の変化たるや凄いもの、私の住む13階建てマンションが建った40年前、13階から見回すと富士山・横浜の高層ビル・東京湾の船の博物館・ディズニーランドの花火・池袋のサンシャインビル・新宿副都心の高層ビルなど360度あらゆる方向が見えましたが、今では周りをこちらより高い建物に囲まれ見えるのは富士山だけ。たった70年ほど前、私が小学生の頃この辺りは終戦後ということがあったにせよ高いビルはなく、せいぜい木造2階建て。空き地も沢山ありました。
このような景色の著しい変化は明治大正以来はじめてのもの、というか人類発祥してからどの時代にもなかった。地球上の人口はどんどん増加し80億に達するとか。地球上に人跡未踏などという土地はもうほとんどない(ごく狭い範囲ではあるでしょうが)。
この人口増加その他の変化をグラフにするなら、100年も経たぬ前までほぼ横ばいだったのに、第2次大戦以後急激な上向きカーブを描き今や天を突かんとする爆発的勢いで無限大に向かっている。となれば、この先どうなるかは決まっている、ドカンと破裂してお終い(運がよければ急激な下降線をたどる。そして消滅する可能性が高い)。
述べたのは私見でしたが BSの番組「人類繁栄の秘密」を見て「なるほどね」ということも
・生存率が高いのは「支配力の高い集団」より「友好性の高い集団」
前者は闘争心により個体数を減らす要素が多く、環境の変化などへの適応力も少なく絶滅の可能性が高い。後者は助け合いや知恵により環境への適応度や繁殖力が高まる。現人類は適者生存つまり強いものが生き残ったのではなく、友好的で生き残ったのかも知れない。ちなみに闘争心の強い狼は絶滅の危機に瀕し、人間との友好性を高めた犬はおおいに繁栄している。
・個体数の急激な増加は一定数で止まり 以後は下降カーブを描く
4組のつがいのマウスを飼育した実験。ねずみ算で個体数は増え続け、620匹を越えると争いが増加、2200匹に達したところで増加は止まる。暴力的なオスに追い回され弱いマウスは狭い場所にひとかたまりでひっそり暮らすが、育児放棄するメスが現れ、次第に生殖能力がなくなって個体数が減少し高齢化、そして1800日ほどで最後の1匹がいなくなる。この実験を25回繰り返したが結果は同じ。
・人類の移動にともなう知恵の発達
アフリカで発生し地球上へ拡散・進化してきた人類を考察すると、彼らは各地へ移動するとともに知恵を発達させていった。その人類も9万年ほど前に総個体数が10万人から千人単位へと絶滅危惧の時期があった。それは氷河期に一致し寒冷が人口減少の原因と思われる。その後再び人類の数は増加に向かうが、それは火をコントロールすることを覚えたから(人類が火を学ぶまでには11万年を費やした)。
・人類の行く末
人類はアフリカから極地や熱帯雨林など様々な地域に広がる中で環境に適応し様々な社会や文化が作られてきた。人類は移動する中で賢くなってきたと言えるかも知れない。そうして地球を埋め尽くした人類は現在、頂点を迎え大きな分岐点に差し掛かっている。これからどこへ向かうのか。人類の人口や社会・文化が限界を迎えた現在、これからの新たな選択肢として宇宙があるのではないか。そうして新天地に進出した人類はもう元の地に戻ることはないが、新たな能力を身に着けていくことになる。
・生存率が高いのは「支配力の高い集団」より「友好性の高い集団」
ウクライナ侵攻やガザ侵攻などを行う集団(国)が決して繁栄の方向には向かっていないことに気付くべきだが、当事者は決して気付くことはないだろうし指摘されてもそう思うことはないだろうなあ、、今月就任のトランプ米大統領は世界にもっと分断を広げ定着させることになるんだろうなあ。遠い目で見ればマウス実験の結末をなぞることになるはず。
・個体数の急激な増加は一定数で止まり 以後は下降カーブを描く
ウクライナ侵攻やガザ侵攻などが発生するのは、人類の人口が必要以上に増加したことに対する自然の摂理なのかもね。先進諸国が人口減少の方向に進みつつあるのも同じ。日本の若者から結婚願望が少なくなりつつあるようだ。神様は「そんなに増えたらやってられねえ」とおっしゃっているのかも。
・人類の移動にともなう知恵の発達
旅先の環境では今までのようにはいかず、新しく工夫しなければならないことが起こったりする。新たなことへ対応するため知恵をしぼる。場合によっては命をかけて知恵をしぼらねばならない。この「火事場の馬鹿力」が進化を促進するのだと思います。11万年ものあいだ厳しい寒冷から生き残り ある時ふと「火のコントロール」をみつけた人は、絶滅の危機にあった種を救い将来の爆発的人口の元を作った。種への凄い貢献をしたってことだなあ。
・人類の行く末
恐竜が1億6千万年ものあいだ闊歩したのに比べ、ホモ・サピエンスは生まれてまだ20万年ほどにしかなりませんが、私は爆発的人口増加の先に悲観的到達点を思考してきました。「宇宙進出」という選択肢も確かにあることはありますね。でも実際にはかなり困難で時間を要することなので、やり抜くだけの根性ありますかねえ。何か危機的なものに尻ひっぱたかれれば、それもありなのかな。でも、難しいだろうなあ、、
「生存率が高いのは支配力の高い集団より友好性の高い集団」について考えたとき、ふと、次のようなことが思い浮かびました。
コロナ明けインバウンドで日本を訪れる観光客が日本人の規律正しさ・礼儀正しさ・親切さなどに感動、大谷翔平夫妻の謙虚で躾正しい姿にも感銘を受けています。災害にあっても互いに争ったりパニックになることなく、お互いに思いやりの気持ちで譲り合い、穏やか冷静に危機に立ち向かおうとする日本人(もちろん少数の例外はあります)。昨年、羽田の航空機事故でも火災になった旅客機から乗務員の誘導に冷静に従い、一人の死傷者も出さず全員無事避難できたことは世界から奇跡とみられたそうです(外国の同様な事故では、客室乗務員の「手荷物を持たず順序よく降りてください」に従わず自分勝手に大きな荷物を持って我先に逃げようとした乗客が狭い通路に引っかかって避難の流れが滞り数人の焼死者を出した例もあった)。
このような現代日本人に備わったもの、当たり前のことと思ってきましたが、この穏やかな日本人の国民性は世界的には少ないのかも。では、なぜ、日本人にそのような世界でもあまり類を見ない素質が備わったのか、次のようなことが大きな素地になったのではないかと思い当たりました。
長かった戦乱の世に幕を引き260年もの太平の世を謳歌した江戸時代の日本。色々な美しい文化が花開き、現在の真面目で穏やかな日本人の気質を育みました。
ということは、グローバル化した世界が もし江戸時代のように平和裏にまとまり このような「太平の世」を作れるなら、人類はもっと安心し幸せに発展するはず。この考えを世界に広め、早く地球全域に太平の世を訪れさせたいもの。
Make america great again 言うなら「俺達だけの世をつくろうぜ」を掲げるトランプ米大統領、それって米国(だけでなく世界)をどこへ誘うんでしょうかねえ、と思ってしまうのは私だけ?
今年の1月は、ほとんど雨が降らず乾燥が続くなか北風の吹く冷たい日が続き「例年最も寒い2月より、今年は1月の方が寒いんだろうか」と思っていたら、翌週にはガラリと変わって3月4月のような陽気になるという。今年の天気長期予想では、2月は平年並み、3月は平年より高めに推移するとのこと。そこから高い気温が続き、昨年をさらに上回るクソ暑い夏になだれ込むのではないかと恐れています。
夜の明けやらぬ6時前後からの早朝散歩は、ほぼ欠かすことなく続けています。歩きの調子は相変わらずイマイチ、歩き始めの調子により4キロだったりショートカットして2キロ弱だったり。今月前半は7キロ歩くことも週に1,2回はありましたが、後半は寒さもあって距離はあまり延びません。それでも何とか、今月も月間100キロは越えられそうです。
服装はフリースの上に軽いウインドブレーカー、裏地起毛のパンツに帽子姿。帽子はここのところ色々試しています。寒くない時期はキャップですが、寒い時期は耳覆いのついたキャップ、ニット帽など外気温や風の有無などにより使い分けています。
石原莞爾(かんじ)は第2次大戦時の日本陸軍軍人・軍事思想家。軍隊嫌いからは目の敵にされる人物と思われますが人間は清濁両面をもつもの。彼の慧眼に強い衝撃を受けこのコラムに書いたことがあります( 2010.08 文末 2010.10 文頭 )。そして今回 TikTok で私が知らなかった彼の言葉をみつけ感銘を受けたのでご紹介。以下そちらから引用
石原莞爾は満州国を成立させたことで知られる。戦争の天才と称され日本軍史上最高の頭脳を持つと言われるとともに異端児でもあった。その良い例が占領軍が敗戦国日本を裁くための東京裁判における彼の発言。
東京裁判を行うにあたり検事は、開戦時首相であった東條英機をA級戦犯として裁くため、東條と仲の悪かった石原莞爾を証人として呼び「東條が第1級の戦争犯罪人だ」と証言させようとした。検事が「誰が第1級の戦争犯罪人だと思うか」と問うと、石原はすかさず「トルーマン(米大統領)である」と答えた。「国際法で一般国民を爆撃するなという規定があるにも拘らず一般国民を(無差別爆撃で)多数殺戮した。これは国際法違反である」。東條の名前が出ることを期待してた検事は非常に困惑したという。さらに石原は裁判長に対し「アメリカは日本の戦争責任を一体いつまで遡るつもりなのか」と質問し、裁判長が「日本の行った侵略戦争全てだ」と答えると、石原は「ならばペリーを連れて来い。鎖国していた日本は朝鮮も満州も必要なかった。その日本を開国させたのはペリーだ。日本に略奪的な帝国主義を教えたのも欧米ではないか」。一見暴論のようで至極まっとうな意見のため、法廷内が静まり返ったと言われています。さらに極めつけは裁判長に対し「もし私が戦争の指揮をとっていれば、あなたの席に私が座り、あなたがここに立っていたはず」と一歩も引かない強気の姿勢を見せた。
TV のニュースを見ていたら「あれ?もしかして」見覚えのある顔、名前を見たらやはり間違いない。15年ほど前、ある組織で一緒に仕事をしていたことのあるよく知っている方、4年前まで年賀状のやり取りもしていました。報道内容をきくと、ある大学の理事長となって権力を自分に集中、自分の考えを押し通しプーチンにも例えられ金銭への執着強く怒ってものを投げつけたことも。背任の罪で逮捕とのこと。私の知っているこの方のイメージは比較的寡黙で自分から多くの発言をすることなく真面目で地味な方というもので報道される内容とはまったく相反するもの。どうしても信じられません。一緒に仕事をしたのは4年以上になると思いますが、あの頃から実はそうだったとは信じ難い。それともあれから15年ほど経てまったく人格が変わってしまったのか。人間よほどのことがなければ人格がガラッと変わってしまうことはないと思うのですがどうしたことなのかなあと、私の認識とはまったく正反対の報道に大変大きな衝撃を受けています。
元 SMAP 中居君の女性スキャンダルがきっかけとなってフジテレビが存亡の危機に陥りそうな大事件に発展し、マスコミは大揺れです。最近はコンプライアンス問題その他、ちょっとしたことが起爆点となって大問題に発展し「たった一言で人生が終る」ことも珍しくなくなってきました。
SNS などで自分は安全な位置から無責任・無遠慮な声を浴びせかけたり、それに乗って事を針小棒大に広めるヤカラが増えるという負の増幅機能が働いてしまっているためと思います。もちろん悪い面だけではないのですが。
世の中に対し誰でも意見を述べることができるということはそれまでなかった画期的機能、もっと良い増幅が増えて欲しいなあ、、1993年頃この世に産声を上げた Web を世に先駆け初めて使ってみた私の感激、そして感想は「世界中からこんなに役立つ情報を提供してもらっているということは、自分からも世界に向け役立つものを発信しなければいけないんだなあ」ということでした。こういう簡易に使え強力な武器は是非良い方向に向けて欲しいなあ、、このコラムもそんな思いで書いていますが、たいして役立ってはいないのかも