わーくすてーしょんのあるくらし ( 382 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
わーくすてーしょんのあるくらし ( 382 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
この季節お決まりの早咲き河津桜
75歳までは歩きも絶好調、本当に「地平線の彼方まで」どこまでも歩けそうな気がしていたものでした。しかし、その年齢を過ぎると次第に脚力低下し80歳を過ぎると脚力低下は顕著になってきました。今では2キロちょっと歩くとベンチに座り一休みが必要、5分ほど休めば復活し また歩けるようになります。
そんな調子ですが、最近は「前肢を前に投げ出すように足裏全体で着地、両肢はもちろん全身脱力し前進するような感じで歩く」ことにより、かなり疲労軽減できるコツを掴みました。「地球一周」の気持ちまではいきませんが、かなり歩きに持続性を増すことができました。
おっと「歩術の研究」話になってしまいました。歩きに限らず「人生たゆまず一歩一歩前に進んでいれば、いつの間にか かなりの距離を進んでいるもの」。地道にやりましょう。
そんなことを書いた翌朝、散歩しながら自分の歩きを分析してみました。すると補足事項をみつけました。
「前肢を前に投げ出すように足裏全体で着地、両肢はもちろん全身脱力し前進するような感じで歩く」と述べましたが、補足事項は「全身で歩く」。具体的には「前肢が着地したとき そこに全身の体重がかかるので、脱力した全身は地面に落ちたボールのように一旦縮む。次にボールが弾むように全身が弾かれ膨らむ感じ、この弾力を利用し後肢を前に進める」。
これをリズミカルに続けることにより、全身が弾むように伸びたり縮んだりしながら歩いていくということ(あくまで心持ちの話で、目で見てわかるほど伸びたり縮んだりはしてないと思う)。リズミカルな音楽に合わせスキップするような感覚。最初は下り坂で試みるのが解りやすいが、慣れてくると上り坂でも同じ感覚で歩ける。この全身を脱力しリズミカルな反動を感じながらの歩きは、無駄な力を使わないので疲労も少ない。そうそう、ここで大事なポイントは同じリズムを続けること。リズムが不規則だと、疲労が早く訪れる。私は iPhone の音楽をコードレス・イアホンで聴きながら散歩しています。
第2次大戦で連合国軍の攻撃で廃墟となり、戦争の記憶を後世に伝えるため保存されたベルリンのカイザー・ヴィルヘルム教会(広島の原爆ドームのようなもの)。記念館となったその内部に掲げられた「塹壕のモナリザ」と題され毛布にくるまった母子のデッサンがある。これはナチス・ドイツに招集され軍医として従軍したクルト・ロイバーがスターリングラード攻防戦の塹壕の中でクリスマスを迎え、手元にあった地図の裏側に焚き火の木炭で描いたもの。戦後ドイツの遺族から寄贈された。彼はソ連軍の捕虜となり生きて妻の元へ帰ることはできませんでしたが、捕虜収容所で亡くなる直前、家族へ最後の手紙を書き遺しています。
我々は皆平和を願い平和に憧れているが、実際には何を望んでいるのだろうか。今なお武器をとって敵を倒すことだけが自分の主張を貫くための手段だと考えている人ばかりだ。もう次の戦争のことを考えてでもいるのだろうか。
我々は皆、将来は良心の声に従って生きるのだろうか。もし前のまま心の奥底に何の変化もないままなら、我々はこれほどまで深刻な体験をしたにも関わらず、もはや人として生きるには値しないだろう。
スターリングラードの聖母(塹壕のモナリザ)
コンピュータで音声入力が使えるようになってしばらくは「とりあえず文字にはしてくれるが、誤修正の手間がかかり、まだ手で書いたほうがマシ」ということで使うところになりませんでした。
しかし最近は大変賢く文字変換してくれるようになり、特に iPhone で文字入力する際など音声入力を便利に使わせてもらっています。ちなみに上記の軍医の遺した手紙の文章は録画した TV 番組を再生しながら iPhone をかざし「メモ」アプリの中で文章にしたもの。多少の手直しや補足は必要でしたが「こりゃあ、便利だわ」と実感しました。
昨年12月に紹介した「NEXUS 情報の人類史」の翻訳本がようやく発売され電子版を読み始めています。とても面白い。そのプロローグの要約をご紹介。
ホモ・サピエンスは「賢いヒト」の意だが、そうだろうか。過去の発見・発明・偉業で、途方もない力を身に着けた。だが、力は知恵ではない。その結果、人類は存亡の危機を招いている。私達には「自分の手に余る力を追い求めたくなる」致命的欠陥があるのだ。
ギリシャ神話では、パエトンが自分は太陽神ヘリオスの息子という神聖な出自を証明しようと、ヘリオスに太陽の戦車を操縦したいと乞うた。ヘリオスは戦車を操れる人間はいないと警告したが、聞き入れず戦車に乗り誇らしげに天空に駆け登ったパエトンは天馬を御すことができず、草木を炎上させ数知れぬ生き物を焼き殺すことになり、見かねたゼウスの雷により炎につつまれ流星のように地に落ちていった。
ゲーテの「魔法使いの弟子」では、年老いた魔法使いが若い弟子に工房に水を汲むよう言いつけ出掛ける。弟子は楽をしようと呪文をつかって箒に水を運ばせるが、止める呪文を知らなかったため工房が水浸しになりそうになり、あわてた弟子は斧で箒を真っ二つにする。すると2つになった箒がそれぞれ水を運び始め工房は水浸しに。弟子は戻ってきた魔法使いに泣きつき助けをもとめて呪文を解いてもらう。
警告に耳を傾けることを拒んだ人類は、地球の気候バランスを崩し、生態系を大きく乱し、魔法をかけられた箒ならぬドローン・チャットボット・核兵器・AI、その他のアルゴリズムの霊を何十億も呼び出してしまった。それらは私達の手に負えなくなり、意図せぬ大洪水をもたらしかねない。始まりは蒸気機関車やAIの発明ではなく宗教の発明だった。預言者や神学者らは愛や喜びをもたらすはずの強力な霊を呼び出した挙げ句、ときおり世界を流血であふれ返らせてきた。
これら強力な霊は神ではなく人間が作ったものだ。しかも個人ではなく大勢の人間によるもの。1933年のドイツ人のほとんどは精神病質者ではなかったのに、なぜ彼らはヒトラーに票を投じたのか。自分の手に余る力を呼び出す傾向は個人の心理ではなく私たち種に特有の大勢で協力する方法に由来する。つまり「人類は大規模協力のネットワークを構築」することで途方もない力を獲得するものの、その構築の仕方のせいで「力を無分別に使いやすくなってしまっている」というのが本書の核心。つまり、私達の問題はネットワークの問題なのだ。
大規模ネットワークは虚構や空想に頼ってメンバーを束ね秩序を生み出す。ナチズムやスターリン主義もそのようにして誕生した。これらは並外れて強力・残忍かつ妄想的思想でまとまっていた。
著者の述べる「人類は大規模協力できるネットワークを構築し、力を無分別に使いやすくなってしまった。私達の問題はネットワークの問題」これはまさに現在、事あるごとに話題になっている SNS に象徴されますね。不特定多数のイジメによる自死・数々の誹謗中傷問題・特殊詐欺やオーム真理教などの人集め・不正な選挙活動・災害時のデマ拡散などなど、枚挙に暇がありません。これは SNS が現れる前は、テレビ・ラジオ・新聞などで起こっていた現象、もっと小規模では井戸端会議などでも。関東大震災の朝鮮人デマ事件は有名ですが、現代マスコミが政府や軍部ばかりを攻める日本の戦争責任問題も、元はと言えば開戦を煽るマスコミ、それに煽られ政府へ開戦を執拗に迫った国民の声でした。日米の国力差を熟知し開戦に否定的だった海軍の山本五十六など闇討ちの危険性さえあった。
米大統領選挙におけるトランプ候補への熱狂的支持を見て思ったこと「これって、ヒトラーの時と同じ光景」「何でこんな大勢が興奮状態になるの?」「多くの米国民はもっと冷静と思っていたのに」「ナチスのような非常識状態にならなきゃ良いけど」、、この本が書かれたのはトランプ2の前でしたが、選挙の展開はここに書かれたことそのままでした。
一方で人類は「自分の手に余る力を追い求める」ことで、数々の発見・発明・偉業を遂げてきた。それがなければ発展はなかったと言えるかも知れません。ハイリスク・ハイリターン、絶大な威力を手に道をそれれば滅亡の危機もやむなしということか。
神や魔法使いの抑止力を持たない人間が自分で作り手に入れてしまった霊、核兵器や AI に代表される絶大な威力が今後どのような局面で人間の手を離れ暴発することになるのか。
これらの霊をコントロールする方法として「SNS のような情報システムを良い面だけに働かせ大衆を正しく導く方法があればなあ」と思うのですが、、
以前は大きな問題視をされなかった部活動などでの体罰、現在は厳しい目で見られるようになっています。私は大学時代から体育会系に属し体育会系の思考の人間、現在でも後輩の馬術部員たちを前に「試合は勝ってナンボ、もっと頑張れ」など檄を飛ばすこともしばしばあり、後輩 OB から「先生、今はそういう時代じゃないんですよ」「楽しくやることが大事なんです」とたしなめられることも。内心「そんな軟弱な」と思いつつ反論は控えています。
だからと言って私は後輩に体罰を与えたことはありませんし、体罰を受けたこともありません。「勝ってナンボ」の精神で頑張っていた学生時代、われわれ部活動に体罰はありませんでしたし、騎兵上がりの教官からも一度もありませんでした(今考えると、当時の学生馬術は軍隊馬術)。父親からも体罰はもちろん強く叱られた経験さえありません。
当時は学校で廊下に立たされたり、先生から頭を叩かれたりなどあっても不思議とは思わない時代。体罰を受けたことのない身は「良い子だったから」ということになるんでしょうが、そういうことより「自分たちは何をすべきか、何をしてはいけないかをふまえ」生活してきたからではないかなあと、、そういう意味ではある程度の緊張感があったのかも
父が徴兵され勝手がわからぬまま、いきなり殴られたことがあったそうです。以後は朝礼で「便所掃除でろ〜」と号令がかかると、いの一番に「はいっ」と手を挙げ、次から「大橋はもういいっ!」と言われたよし。嫌なことは率先して手を挙げる。軍隊では要領が大事。
体罰をする側だけが責められる今の世の中の風潮にちょっと違和感があるのは、やはり私が古いからでしょうか。古い新しいということではないと思うんだがなあ、、
今月でとうとう83歳になってしまいました。私の父が脳溢血で突然倒れたのは、私が産婦人科医局に仮入局(当時吹き荒れていたインターン闘争で我々の学年は国家試験ボイコット、まだ医師ライセンスがないため仮入局)して2ヶ月後の6月8日。天気の良い朝でした、まだ布団の中にいると母が2階から階段を駆け下りていくあわただしい雰囲気で目を覚ましました。この瞬間「ついに来たか」と悟りました。父の兄2人はいずれも若くして脳溢血に倒れ、長男として無意識にそれを覚悟していたようです。
当時、大橋医院は大々的なリフォーム中、父は朝早く起きだし新しいレントゲン室を見に行って発症、何とか自力で階段を上がり2階の婦長の部屋へたどり着き倒れたのでした。父はまだ56歳、母、弟、私の家族3人の運命そして生活の大転換となった劇的瞬間となりました。それから10年間、父は寝たきりで母や婦長の介護を受け、66歳で亡くなりました。その父の亡くなった歳を越えること17年、こんなに長生きするとは夢にも思っていませんでした。さあて、私の人生あとどのくらい続くのでしょう、、
早朝散歩:清水池公園