わーくすてーしょんのあるくらし ( 376 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
わーくすてーしょんのあるくらし ( 376 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
地球上に生物がいつ誕生したのか、恐竜が絶滅したのはいつか、人類の誕生は、人類が日本列島に到達したのはいつか、などなど興味の赴くまま調べていると、年代はわかるものの、相対的な関係がイマイチしっくり呑み込めない。ということで、年数を距離に置き換え考えてみると、非常に判りやすいことに気が付きました。
換算の単位としてシンプルに100年を1ミリとすると判りやすい。人生100年時代といわれる現代、1ミリが一生と考えられるが、実際には4世代以上に相当する。これで考えてみると、、
宇宙誕生が138億年前として1380キロの距離(福岡から北京)、地球誕生が46億年前として460キロの距離(東京から京都) 、生命誕生は38キロ(新宿から高尾)、恐竜誕生が2キロ3千メートル、隕石衝突で恐竜絶滅が660メートル、アフリカでヒト属が分化したのが20メートル、ホモ・サピエンス出現からたった2メートル、西アジアに人類進出したのが60から70センチで40から50センチに東南アジア到達、日本列島に縄文人が到達したのが30センチ、秦の始皇帝が2センチ、2センチ弱の古墳時代に中国大陸から大量に移民流入(私は戦乱などで逃げてきた大量の難民と思っている)、江戸幕府が開かれたのはたった8ミリ、幕府が倒れ明治の世になったのが1.5ミリということになる。
と考えると、恐竜時代は2キロ以上の長さ続いたが、人類なんてホモ・サピエンスになってから まだ2メートルと、いかにちっぽけな存在でしかないかが判る。そのちっぽけな人類があっという間に地球全域に増殖して他の動植物を駆逐し、地球環境を急速に悪化させている。これって、どうよ、
人類はあっという間に進化してきた。しかし私が考えるに、人類はまだまだ進化する余地を持っていながら、自分勝手に他の動植物を排除したり紛争を繰り返すなど地球環境を急速に悪化させている。また急速に進化し人智を越えようとしている AI 。これらが誘引となって人類自滅につながる危険性はかなり高い。しかし人類はこれを止められない(判っちゃいるけど、やめられねえ)。こんなこと真剣に考えているのは、まだ地球上の極めて僅かな人なんでしょうね。
激しい価格競争と政府による補助金が段階的に廃止される中国では100社以上の電気自動車メーカーが奮闘、2020年以降 20社以上のメーカーが市場からの撤退を表明。これら電気自動車メーカー撤退により、思いがけぬ問題が生じ、推定16万人ものドライバーが窮地に立たされているそうです。2023年10月に破産した WM Motor の電気自動車では、車を操作するためスマートフォンのアプリが提供され、車のロック、エアコン、ダッシュボードに表示される走行距離・充電状況、カーステレオなどを操作できたが、メーカー撤退によりアプリが動かなくなり、これらの操作ができなくなった。つまり大枚はたいて買った車は、大きなガラクタになってしまった。
これは特殊ケースで、他の多くの電気自動車メーカーはパートナーシップを結ぶなど、社が破綻しても別企業にアフターサービスを引き継ぐことができると説明されているそうです。しかし海外メディアは「中国における EV 市場の競争が激化する中で、多くの電気自動車がスマートフォンを用いた制御やソフトの更新までクラウドサービスに依存しているという事実は、車両の長期的な保守性に対する懸念を引き起こしている」と述べている。今や「ネットワークを介した操作」は、スマートフォンの普及と相まって急速に拡大しつつある。ニュースやエンタメなどの閲覧・色々な検索・物品購入・交通機関や商店や医療機関などの支払い、その他おびただしい種類のことがスマートフォンやパソコンを介して行える、今やネットワークはインフラ。水道や電気も同じことが言えるが、それらインフラの断絶は大災害でも起こらなければ生じない。しかしネットの断絶は、まだいつでも生じうる。水道に毒物などが混入する可能性は今のところ低いが、ネットにウイルス混入は頻発している。
Windows によるセキュリティソフトの問題で、世界中の交通機関や銀行の機能停止があったが、このようなことは今後もっと起こるはず。と同時に、ネットワークを介した色々なサービスは今後われわれの身の回りに急速に拡大していくはず。今や「ネットワークはインフラ」と考え、水道や電気なみの安定性を確保すべき時代となりました。もうひとつ考えるべきこと。それはネットが停止しても操作できる代替手段を備えておくこと。私の開発した電子カルテは早々とネット上のクラウドで動く仕様に転進しましたが、「ネットは停まるもの」と考え、ネットが停止した場合の代替機能を搭載していました。
このようにネット依存にはリスクが潜む一方、補っても余りある大きなメリットがあります。それは複雑でパワーや容量を必要とする操作はネットワークの彼方のサーバーに任せ、手元にはコンパクトなスマートフォンなどの端末さえあれば良いこと。
「ネット経由の利便性とリスク」の極端な実例が出てしまいました。ガザ地区の民間人に配慮することなく執拗な攻撃をやめようとしないイスラエルですが、最近はガザ地区を支援するイラン・ヒズボラへの攻撃も激しくなりつつあります。そんな中、レバノンでヒズボラ戦闘員に配布された台湾製ラベルのポケベルが一斉に同時爆発し、子どもを含む9人死亡2800人負傷という前代未聞のニュース。その翌日にも日本製とされる無線機器複数が同時爆発。イスラエルは公式発言をしていませんが、世界最強といわれるイスラエルの諜報機関モサドによるものという説がささやかれています。これら多くの機器にどうやって爆発物を仕掛けたのかが皆の関心の的。
これはまさにイスラエルにすれば「ネット経由の利便性」、ヒズボラにすれば「ネット経由のリスク」。
この事件の詳細を検索していたら、ヨルダン川西岸地区でイスラエル兵が射殺したパレスチナ人3人の遺体を屋上から投げ落とし処理する映像や目撃情報。国際法では「兵士は戦闘員を含め、遺体を丁重に扱う義務」を規定しており、これは完全に国際法違反。
かつてナチスにより熾烈な扱いを受けたイスラエル、世界各国はこのことを踏まえイスラエルに寄り添ってきたが、ガザ地区での市民に対する無差別攻撃をはじめ上記の件などを見ても、まさに現在のイスラエルこそがナチスと同じ思考で行動しているのではないかと考えざるを得ない。反論も多々あるでしょうが、正直 私が現在感じているのはそういうこと。
先月末から猛烈な台風ということで九州に上陸した台風10号、異常に移動速度が遅く消耗して四国を過ぎる頃には熱帯性低気圧になってしまいました。しかし、それが呼び込む湿気は日本全土に及び、東京も断続的に強い雨に襲われ湿度も極めて高い。
小降りの雨が断続するなか、我が家向かいの広場からお祭りの太鼓や盆踊りの音曲が聴こえてきました。上から見下ろすと盆踊りの舞台を囲んで踊る円陣が見えますが、雨とあってそれ以外の人影はまったく見えません。周辺住人に外から来た人が増えたことや世代代わりなどにより年々モチベーションの落ちる祭礼ですが、主催者の熱意により何とか頑張っている感じ。それにしても、以前に比べ最近はスピーカーから流れる音曲のボリュームもかなり遠慮がち、小学校の運動会もそうでしたが、周辺のマンション住民などからの「うるさい」との文句に遠慮してのことなのでしょう。
盆踊りの「炭坑節」や「東京音頭」を聴くと、直感的に思い浮かぶのは私の小学生時代。昭和20年代、隣のトンカツ屋2階では毎晩のように宴会が行われていて、大きな声で炭坑節などを歌うのが聴こえてきたもの。その隣家に接するこちらの2階は産科入院室、産婦さんたちが入院しており耳元であの大きな宴会の騒ぎが聴こえていたはず。今なら大変な文句がでたはずですが、戦時中の空襲その他で大変な思いを越えてきた日本人、誰もそのようなことで文句を言うこともなかった時代でした・・・なんてことを思い出すのでした。
最近は毎年、暑さの記録を更新しているようですが、9月に入っても暑さはまったく衰えを見せません。従来は台風一過で気温が落ち着きホッとした記憶があるのですが、今夏は何度か訪れた台風が過ぎても酷暑は一向に衰えを見せません。気温上昇に伴うゲリラ豪雨により都内でも各地で水があふれ被害が出ていますが、これは世界中に及び、ヨーロッパを襲った嵐による集中豪雨でオーストリア、チェコ、ポーランドなどに壊滅的被害がでたようです。9月20日になっても気温は35度越え、8月盛夏時と変わりません。そんな中ではありますが早朝散歩は欠かさず続けています。今月は散歩時に降雨のことが少なく、ほとんど毎日歩きにでられています。
足腰の減弱は進みこそすれ、まったく改善の兆しは見られません。しかし最近はそんな状況にも、それなりの対応を身に着けてきました。従来なら「今日はちょっと距離を延ばし歩くぞ」という意気込みで出掛けたりしたのですが、最近はハナから「長距離は無理」って感じで歩き始め、歩いているうち騙しだましに距離を延ばし、今月は多い時で7キロちょっと、1日平均5キロ以上歩いています。ただ途中2度か3度ほど道端のベンチに腰をおろし、iPhone を眺めながら5分ほどレストを置くようにしています。こうすることで脚の疲労が回復、また元気に歩けるようになります。以前は散歩中ベンチに腰を下ろすなんてジジイだなあと思ったものですが、最近そんなことは言っておられません。
酷暑もさることながら湿度も滅法高いので一旦休むと顔中に汗が吹き出し、歩き始めても汗がとまらず目に入るのはちょっとね。帰宅し汗びっしょりの顔を水道水で洗いさっぱりするのが気持ち良い。洗顔しやすいよう、水道の蛇口を上下方向自由に動かせるアダプターをつけました。
6年前、飲み仲間との登山に備え購入したモンベル製のトレッキングシューズ、気に入りこれしか履かなくなりました。底がすり減り取っ替え引っ替え3足履き替えてきましたが、その3足目も擦り減って更新にあたり、今までの登山靴のように丈の高いものでなく今度はスニーカーに近いトレッキングシューズに換えることにしました。更新はいつもモンベルの通販を使ってきたので今回も同じサイズを注文したのですが、届いたものは同じサイズ表示でもワンサイズ小さい感じで足が痛くてかなわない。以前のシューズも履きなれるまで踵が擦れて痛かったり色々あったので、もうちょっと我慢してみようと思う。しかし、この靴の作りはとてもよく、材質も皮ではなくしっかりした合成繊維なので果たして形状が自分の足に馴染んでくれるものか、ちょっと心配ではある。
イヤと言うほど続いた今年の酷暑、24日頃からようやく朝の気温も20度と涼しくなり、朝の散歩も距離を延ばせるようになりそう、、
これは大事なことですので、今後何度も執拗に叫びたいと思います(かつて SONY の電子手帳 CLIE に「電話機能を載せてくれえ」と何年も叫んでいたら Apple から iPhone が発表され、私の望む以上のものが実現されました。「可能・不可能は考えず、何としてもこれが欲しいぞう」と叫んでいれば、神はいつの日かそれを授けてくれるでしょう)。
東京は地面の効率的運用や目先の経済効果だけを考え、随所にあった緑を伐採して更地にし、雨後の筍のようにニョキニョキと建つビルで埋め尽くしてきました。筍ならまだ美しいのですが、スカイツリーから遠望すると汚らしいカビにも例えられそう。コロナもおさまって日本を訪れる海外からの観光客の感想として、美味しい食べ物とともに日本の美しい風景を称える声が聞こえます。しかし、その多くは昔ながらの日本の原風景。東京都心となると、特にこの酷暑の時期、酷いものじゃなかろうか。
この暑い時期、散歩をしていても近所の林試の森に入ると、すっと涼しくなる。少なくとも2度くらい気温は低いのではなかろうか。街路を歩いていても、道沿いに緑の多い地域では吹く風もやや涼しく感じられる。緑豊富な環境は気温を確実に下げてくれる。
緑の2番目の利点としては、空気を浄化してくれること。南米の多くを占める森林は「地球の肺」とも呼ばれ 地球に多くの酸素を供給してくれているが、最近ではどんどん伐採され畑にされている。
そして3番目、それは何といっても「緑による大きな癒やし効果」。昔からの由緒ある旅館・料亭などでは、この3つの利点を十分活かすようなしつらえになっていた。昔の人はものの本質をよく判っていたのに比べ、現代人の薄っぺらさ。
高齢化社会、どんどん増える空き家が最近ではどんどん更地になっている。手仕事だった取り壊しも、最近は重機を使いあっという間に更地に。散歩していて「あれ?一面の更地! つい数日前まで建物があったはずなのに」と驚かされることが多い。行政は後継者のいなくなったこのような更地をうまくまとめ、どんどん緑地を増やすべき。実際には大変だろうが「東京を美しい都に」を目指して。世界の都市をみても随所に広い緑地を有するところが多い。この時期に及んで小池都知事は、神宮外苑の緑を大幅に伐採しビルを建てようなどと逆行もよいところ。遠大な視点と広い視野で東京の都市計画を考えていた明治大正の政治家達に比べ スケールが小さい。碧天に浮かぶ「坂の上の雲」を見つめ 高みのみを目指していた明治の偉人達と、子供の頃から頭を抑えられ発育を阻害される現代人の違いか、唖々、、