わーくすてーしょんのあるくらし ( 330 )
2020-8 大橋 克洋
以前も紹介したことのある私の書斎。窓の向かい側にマンションが建ってしまったので、目隠しのため観葉植物の鉢を置いている。鉢植えの手前に割箸建築の作品が2軒。向かい側のビルが建つまで都庁を始めとした新宿のビル群が見えていました。今ではその右側に、渋谷に増え始めたビル群がかろうじて見える程度。写真では霧に霞み見えていません。
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◯ スクラップ・アンド・ビルド
最近家の周辺で、どんどん家が取り壊され空き地になっているのが目につきます。 家の東方向では、中原街道の支線(?)を作る予定地の家屋が次々と取り壊され、緑色のフェンスで囲われ道路建設予定地の立て札がたっています。西方向でも、道路拡張予定の地域が少しずつ取り壊され緑色フェンスになっています。
私の呑み仲間 K先生の診療所も上記の道路拡張にひっかかり、隣接するアパートを取り壊して新しいマンションを建て、その中に診療所を移してから現在の診療所を取り壊すそうです。私のところも道路拡張にひっかかりましたが事前にわかっていたので、そこを避けて建物をたて、ガレージ前の空きスペースを削られるだけで済みました。
これらは単に道路を通す目的だけでなく、火災の延焼を防ぐ、江戸時代の呼び方「火除け地」の意味もあるようです。品川区では大井町の方でも「こんな所にこんなだだっ広い道路を作って何の意味があるの?」というところもありますが、これも火除け地のようです。
しかし今朝の散歩で気がついたのですが、南西方向でも何箇所か家が取り壊され更地になっているのが目に付きました。ここは道路拡張になるとは思えない場所、たまたま取り壊しの家が近所で立て続けに発生したのでしょうか。
高齢者が多くなり、また昨今は親を継承しない例も多くなってきたので、代替わりとともに古い家屋を取り壊すことが多くなったのかも知れません。あるいは東京五輪に向けての建設が終了して建設業者の手が空いたということもあるのかな。このようにして、私の周囲の景色は私が幼かった頃のそれとはどんどん変わっていきつつあります。これが良いことなのやら悪いことなのやら判りませんが、、
◯ 今から考えれば、何てこと、、
現代では、女性の意思が尊重され恋愛などで結ばれるのは当たり前になっていますが、それ以前の結婚を知ると何とも言えない気持ちになります。
今から2000年以上前、前漢の江都王の娘である劉細君は政略結婚で自分の生まれた「西安」からモンゴル砂漠を越えたはるか彼方、現在のカザフスタンのあたりにあった遊牧民族「烏孫」の王に嫁がされた。さらに数年後、王の老齢に伴い、その孫に嫁がされることになる(当地では未亡人を守る意味もあったようです)。これは彼女ら漢の人間からすれば受け入れがたいことであり、遥か彼方 祖国の「武帝」にその受け入れがたい状況を訴えるが、当時、漢は烏孫と同盟して北方の「匈奴」を攻めており、武帝は烏孫の慣習に従うよう彼女に伝えた。そうして彼女は王の孫の妻となり、その地で病により生涯を終えた。彼女の作「空を飛ぶ白鳥となって祖国へ帰りたい、、」とうたった望郷の漢詩が有名である。
西安からカザフスタンを地球儀で見ると、とんでもない遠方、現代でも移動することは容易ではない。当時、世界で最も繁栄した都市文化の暮らしから、とんでもない遠方の遊牧の地へ強制的に嫁がされた彼女の思いはどんなだったろう。生家から絶望的に離れ、生活文化・環境のまったく異なり知人もまったくいない異国の地へ送られた彼女の気持ち。
日本でも同様の政略結婚は過去の歴史に幾らもありましたし、もちろん歴史に残らない同様のことは数知れずだったはず。という話を家内にしたら、彼女が高校の頃、同級生から「突然、父から某家に嫁にいけと言われた」と泣きつかれたたことがあったそうです。きっと現代でもあり得るんでしょうね。
終戦記念日を前に放映された番組「戦争花嫁」では、終戦後の日本が混乱・貧乏な時期、進駐軍の米兵に嫁ぎ米国へ渡った数万人の戦争花嫁。敵国日本人ということで白い目で見られたり、米兵に嫁ぐのは売春婦に違いないと思い込む義父など、言葉も話せず知人もいない土地での苦労は大変なものだったようです。そのような環境の中でも、毅然とした態度を守った戦争花嫁の姿には感銘を受けました。四面楚歌の中で、優しく理解ある夫に恵まれた人もいたようですが、、
女性の意思が尊重されるようになった現代においても「女性は凄いなあ」と思います。生まれ育った家族・環境から離れ、ある日を堺に、違う家族やまったく異なる環境の中に入り、そこに少しずつ馴染み根付き同化していく、だから女性は強いんだなあと感動、、
◯ 戦後75年に思うこと
今月は太平洋戦争の終戦から75年目になります。広島・長崎の原爆が話題になりますが、私としては一夜にして10万人の非戦闘員:一般市民が残酷に焼き尽くされた東京大空襲に大きな憤りを感じます。この戦争全体の戦没者310万人、内地での戦災死者数50万人とされていますから、一夜にして殺戮されたその数は大変なものでした。私は当時3歳で、幸い家族とともに埼玉県に疎開しており、直接空襲の経験はありませんでしたが。
ただ、現代の日本人って何か変と思うのは、意識的に非戦闘員を対象に無差別に爆弾を落とした相手に対してではなく「そのような状況を作った日本が悪かった」という意見がでること。こんなに自虐的になる必要あるんでしょうか、私には到底理解不可能。ただし、私が感ずるのはあくまでも「罪を憎んで人を憎まず」ですが、、
ネットで「東京大空襲 動画」で検索すると、幾つも当時の状況をみることができます。米軍爆撃機 B29 の機内から撮影された東京の絨毯爆撃の状況、この凄まじい爆弾の雨が炸裂する中を逃げ惑う女子供の姿を想像するに地獄絵そのものであったはず。この弾幕と炸裂する火炎群を B29 の米兵はどんな思いで上空から眺めていたのでしょうか。恐らく逃げ惑う女子供の姿などなく、淡々と任務遂行、あるいは敵地の害虫を一掃するような気持ちだった米兵もいたはず。一般市民が自転車に乗っていて、米軍戦闘機の機銃掃射に追い回された話も聞きました。どう考えても、面白がってやっていたとしか思えない。
その後のベトナム戦争などでも、人間の残虐性を語る話は幾らでもあります。このように「一旦戦争になってしまえば何でもアリ」、それ故「絶対に戦争はすべきではない」。一方「平和を守る為には、ある程度の抑止力は絶対に必要」。ガンジーのような無抵抗主義を貫いたとしても、残念ながら近隣諸国に「性善説」の保証はない。とんでもないヤカラに、とんでもない酷いことをされる可能性は幾らでもあるのですから、、
我が国の隣国、中国・韓国・北朝鮮・ロシア、どれをとっても、その脅威が絶対ないと言い切れない国ばかりなのはちょっと悲しい、、
◯ 今月のコロナ
7月に入り東京のコロナ感染者数は明らかに再び増加傾向を見せてきたにも拘わらず、政府は経済優先という方針から旅行に補助金を出す GoTo キャンペーンなるものを始めました。「えー、せっかく落ち着いていたコロナが増加傾向に向かい第二波が予想される時に、旅行を促進してコロナを全国に拡散させるってか?」とは誰もが思ったことでしょう。
案の定、それとタイミングを同じくするように全国のコロナ感染者数はどんどん増加傾向を見せ、東京・大阪・福岡・名古屋など大都市では連日のようにコロナ感染者数の記録更新が報道されました。コロナ対応の経験値が上がってきたこともあり死亡率はやや下がってきているのは不幸中の幸いですが、これも感染者が爆発的に増えれば対応しきれなくなることで医療崩壊が起こり、再び上向きになってしまう危険性もあります。
政府内の誰かの思いつきだったであろう通称「アベノマスク」の全戸配布は大失敗、このマスクを実際に使おうと思う人は極めて少ないに違いありません。これを明らかなつまづきの始まりとして、GoTo キャンペーンもそれまで大きな批判の見られなかった政府のコロナ対応への批判をぐっと押し上げてしまいました。基本、安倍政権を応援していた私でさえ「これはちょっとなー」と思わざるを得ません。失敗は誰にもあることですが、失敗を経験として活かし次の政策へとつなげる動き、初期には見えたスピーディーな対応が見られないのはとても残念に感じています。
高校同級生のメーリングリストでも「高貴高齢者/好奇高齢者の皆さん、楽しみにしていた秋の同窓会ですが、この状況なので今年は休会としたいと思います」とアナウンスが流れていました。色々な会合が今年はパスとなっています。歴史に留められる年になりますね。
◯ 今月の歩術
8月に入っても、早朝は肌に触れる空気もやや涼しかったのですが、半ばに入ると流石に朝からムッとするようになってきました。今年はコロナを防ぐためマスクを着け歩いていますが、帰路に向かうころにはちょっと息苦しく外して歩くこともありました。
脱水による熱中症を予防するため、なるべく途中1回は自販機で飲物を補給するようにしています。今年に入ってから現金を使うことはほとんどなく、SUICA を使える自販機を利用するようにしているのですが、道端に数ある自販機の中でも電子マネーを使える自販機がまだまだ少ない。私の早朝散歩の行動範囲では、目黒通りに1台、碑文谷の田向公園近くに1台.、五反田駅近くには流石に3台ありましたが、いくら探しても他に見当たりません。
肝心の歩きの方ですが、やはり加齢と普段の運動不足のせいで、すぐ疲労感がでたりして以前のような持続性がなかなか発揮できません。現在は1日3キロからせいぜい7キロ程度、たまに調子の良いときに9キロ歩ける程度。情けない。今年になってから、腹部の脂肪それも明らかに内蔵脂肪と思われるものが増加してきたのも気に入らない。減食よりも、運動で代謝を増やすべきとはわかっているのですが、なかなか、、
夜は1,2度トイレに目覚める他は、横になれば時間を置かずすぐ眠れるのですが、熱帯夜に近づくにつれ朝起きても何か熟睡感がなく倦怠感のようなものがあります。やはり就寝時の身体温度をもう少し下げる必要があるのかなと。一昨年までは就寝時に扇風機を使っていたのですが、昨年から冷房をつけるようになりました。といっても、冷房が効きすぎた中で寝るのは身体によくないので、冷房はぎりぎりまで弱くし原則朝までつけっぱなしにしています。昼間の自室も極限まで弱くした冷房をつけっぱなしにしています。75歳を過ぎるまで、就寝時に冷房をつけるなんてとんでもないと思っていたのですが、、
今年の夏は8月半ばからの目眩発作を堺に、まったく歩きに出ることができず、酷暑の朝の散歩を経験することなく終わりました。それでも30日午後、家内の母危篤の知らせで、カンカン照りの太陽の下、歩道でタクシーを待つ間の日差しはまさに頭を電気ヒーターに近づけた時のような激しいものでした。
何度も書くように、自分が加齢とともに衰えていくのを書くのはとても嫌なのですが、人間はこのように老いていくということを書き残すのもこのコラムの使命のひとつと、考えを改めることにしました。
◯ ワイアレス・イアホン
5月に購入した初めてのワイアレス・イアホン CARD20 がとても快適で気に入っていたのに、たった1ヶ月でいつの間にか耳から脱落し紛失、凄くがっかりしたことを6月に書きました。「ワイアレス・イアホンは紛失するもんだ」ということを自覚した上で、散歩で使う快適さを手放し難く、早速新しいのを購入しました。ワイアレス・イアホンは消耗品ということで AirPods のように高価なものは使えないので、4500円程度のものを選びました。
これまで長年ずっとインナー型のイアホンを使ってきたのですが、5月に手に入れたものはカナル型。インナー型ではゴムなど柔らかい素材がピッタリ耳の穴に密着しますが、カナル型は硬質のプラスチックのような素材で耳穴との間に多少の隙間があるため、インナー型のような耳閉感というか不快感がまったく無く、外の音もよく聴こえ歩いていても安心。
そこで新しいのもカナル型にしました。使いはじめて1ヶ月を過ぎますが、幸い今のところ紛失することなく快適に使えています。インナー型は耳穴に密着しますが、カナル型は耳穴と耳介に引っ掛けるだけなので、インナー型に比べ脱落しやすいように思いますが、実際に使い比べたところでは、脱落しやすさに関してはどちらも変わりはありません。
朝の散歩から帰りザブザブ顔を洗っていると、耳からポロリ洗面器に転がり落ちることはよくあります。うつ向いた角度で落ちやすいのと、手が当たってしまうことが原因。
5月に購入して気に入っていたイアホン、クラウドファンディングだったので再入手困難と前に書いたのですが、今月からドン・キホーテで発売されたようです。しかし価格は今回購入したものの2倍以上、今回のイアホンでほとんど不満ありません。
◯ 人生3度めの目眩発作
今月中頃の夕食時 TV 画面の背景が横に流れるのを見て、一瞬軽い目眩を覚えました。その時は「あれ?」と思った程度だったのですが、翌日いつものように朝風呂のあと身体を拭いていると、脳貧血のような感じが頭から足にかけ走る。起立性低血圧のようですが、余韻が消えず目眩も、「これは駄目だ」ということで寝室へ戻りベッドにばったり。
父の兄弟全員が脳溢血で亡くなっており、いつか自分もという気持ちは常にあります。脳梗塞などによる目眩の可能性もありますが、頭痛や麻痺など他の症状は全くないので、ひとまず大丈夫かな。しかし、目眩がこうシツコイと脳関連も払拭できない気分。
30分ほど休んだ後、いつものように書斎に座るも目眩は頻繁。立っていたり目を開けていると気持ちが悪くなる。状況を見ていた娘と家内が「それは駄目よ。慈恵に行きましょう」。コロナ蔓延下、病院受診はなるべく避けたかったが仕方ないか。身支度し出掛けようとすると、立って動いたため目眩が酷くなり吐き気も強く、思わず廊下にしゃがみ込む。しばらくしゃがみ、ようやく嘔気が落ち着いたところで家内とタクシーで慈恵医大病院へ。
このコロナ蔓延下、慈恵外来は思ったよりいつもと変わらぬ状況。病院入口で体温測定・問診を受ける。家内が車椅子を借りてきてくれた。10年前の入院以来フォローを受けている脳神経内科を受診。CT と念の為 MRI 撮影、幸いなことに左脳に小さな古い梗塞跡が見つかった他は異常なし。目眩は耳鼻科領域のもののようで、目眩の薬を処方しておきましょうということで帰宅。やりとりの中で、父とその兄弟全員が脳溢血で亡くなっていることや、甥が脳外科、その父すなわち自分の弟も慈恵卒業のリハビリ専門医というような話をしていると、電子カルテを見ていた主治医が「弟さん、今うちに入院してますね」「えっ」ということで、弟が内緒にしていた神経内科入院がバレてしまいました。コロナ状況下、残念ながら面会はできない。後で弟からかかってきた電話だと弟のほうがシビア、ちょっと心配。
翌日も目眩は結構ひどく、寝たり起きたり。目眩発作、最初は26年前、日本NeXTユーザ会の連中と NeXTExpo 参加で米国西海岸へのツアー。幸いユーザ会代表として Steve Jobs と握手した翌日以後でしたが、ホテルで酷い目眩発作が発生。「米国で入院にでもなったら(費用的にも)大変」と思ったものですが、仲間に介抱されつつ幸い無事帰国。近所の脳外科を受診したものの、大した治療もせず5日位で自然治癒。2度めはこのコラムにも書きましたが11年前、急に酷い目眩発作で入院デビュー、慈恵の耳鼻科に入院し1週間くらいかかりましたかね。そして今回が3回目。今回も1週間くらいは覚悟しなきゃだめかな。
・・・
と思っていたのですが、やや改善したかなと思っても立つと頭がグラングランするようなこともしばしば。2週間を過ぎ、ようやく少し落ち着いてきた感じ。コロナ下の今夏は酷暑で熱中症もかなり多く、昼間から救急車のサイレンも多くありました。しかし私は12日に目眩発症、最も暑い時期まったく自宅から出られず。朝の散歩も一切なし。仕事をリタイアしてからで本当に良かった。そうでなければ、2週間以上休診せざるを得なかったところ。
◯ 安倍首相 辞任の決意
月末になって、安倍首相が持病の潰瘍性大腸炎悪化で辞任決意のニュース。安倍首相も世間から色々なことを言われましたが、歴代首相の中でも本当に「日本のため」を思い真摯に職務に当たってきた首相と思います。
現職となると、私のように不具合があっても、のんびり対応する訳にもいきません。コロナ禍への対応など心休まらぬストレスも病状悪化の一因になっているに違いありません。
本当にご苦労さまでした。心配なのは後任。現在、米国のトランプ大統領、ブラジルのボルソナーロ大統領、韓国の文在寅大統領、フィリピンのドゥテルテ大統領など、おかしなワンマン指導者の多い世界各国において、日本の首相は絶対に質を落として欲しくない。これから暮れにかけ、米国の大統領選挙、日本の首相指名、そしてそれにより日本をめぐる状況はどのように変化してゆくのか、ハラハラしながら見てゆくことになります。
書斎机:ちなみに左上に見える窓はディスプレイに投影した世界からの窓。癒やされます。
これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です