わーくすてーしょんのあるくらし ( 192 )
2009-2 大橋克洋
すでに春の陽気を感じさせる戸田漁港
岸壁に舫(もや)った漁船も ゆったり
写真中央 浮きの上にカモメが一羽のんぴり日向ぼっこ
バスの窓からは、枝たわわに色鮮やかなミカンが陽光を浴びていました
<2009.01 自分のためは地球のため | 2009.03 日本の伝統 >
目覚ましの鳴る朝5時前、暖かい布団から なかなか抜けられません。 そこで最新兵器 iPhone。
天気予報で天候と気温をチェック、産經新聞を読みます。 そして、エイヤッと起床。まだ空も白まぬ夜明け前、 朝トレ第1回目を軽く行い目を覚ますのが日課となっています。 全身の蝶番のサビが落ち、とても気持ち良く充実感に満たされます。
iPhone って やはり便利ですねえ、こんな便利な携帯はありません。 機能も購入した時のままではなく、 世界中の人々のアイデアで際限なく増えていきます。 AppStore から色々なものをダウンロードしました。 たった数百円のものが多いのも嬉しいです。 愛用しているものを 使用頻度順に挙げると以下のようになります。
産経新聞
メール
メモ
天気予報
iPod 動画
iPod 音楽
カメラ
乗換案内
GoogleMap
そして、もちろん電話機能。 これまで使ってきた色々な携帯に比べても 使いやすい。
実用品ばかり挙げましたが、癒し系やゲームなども 満足なものが多いです(もっとも私は昔からゲームを作る方が 遊ぶより楽しい方で、 余程時間つぶしが必要な時でないと ゲームで遊びません)。 最近は、あまりにも iPhone アプリの数が膨大になってきて、 どこに自分に必要なものがあるのか 見つけるのが困難になってきたのが悩みです。
幕末の頃の「神足歩行術」に関する記述を読みました。 三重松坂の豪商「竹川竹斎」は、あるとき、 江戸の支店に急ぎ届けたい手紙があり飛脚を頼んだが 「特別に急いで三日で届けましょう」と言われ 「それなら俺の方が早い」と、 三日で行って帰ってきたとか。 このような日本伝統の優れた歩術も 西洋式の軍隊を導入したことがきっかけで、 日本人の歩き方自体がまったく変わってしまい消え去ってしまいました。 非常に残念なことです。 書物を参考にこの歩術を「競歩」に生かせないかと考えた人がいましたが、 これは完全に競歩のルール違反の歩き方で駄目なのだそうです。 要は「早く歩く」ということで、 もっとルールに柔軟性を持たせれば面白いのにね。 あの「競歩」のぶざまな歩き方は、 どう見ても理にかなったとは思えず好きになれません。
神足歩行術の要点は「臍(ほぞ)納め」にあり、 気を丹田に集め、首筋・腹・腰・足の先まで全身を緩め、 ゆったりと一里ほど歩いてから速歩に入る。 腰の周りを滑らかにしたり、脚の周りをゆるめる色々な技法があり、 砂道、向かい風、上り坂、下り坂、それぞれの歩き方がある。 かけ声も大切で、サササザザザ、オイトショと言いながら平地を歩き、 登りの時はマダマダマダマダと言うとか。 これらを習得して、まず江戸・鎌倉間を日帰りできれば一人前の歩行家とみなされ、 次の課題は、日光までその日のうちに着き、疲れを翌日に持ち越さないことだとか。
「全体に腰をすえて歩くべし」と言うのは、 私が経験を重ねるうち自然に会得したコツと同じものでした。 面白いですねえ、ひとつのことを突き詰めてゆくと、 自然に同じところへ到達して行く。 「全身を緩め」というのも そうです。 歩行速度を上げたい時は 「全身の力を抜くことにより速度が上がる」のも 経験上会得したことです。
先月書いた「身体の部分をバラバラに動かす」という概念も、 「全身を緩める」「全身のバランスをとる」という目的に 合致しているのだろうと思っています。 これを自分の中で更に具体的イメージとするため、 映画 WALL-E にでてくるロボット「イーブ」を意念しています。 それにより下丹田に重きを置き、身体部分をばらばらに、 「浮き」を作った状態で歩けるからです。 電車の中のトレーニング「掴まらないで立つ」にも 同じ意念を用いています。
「ひとつの歩法を続けるのではなく、 色々な歩法を組み合わせ 一定距離ごとに変化させることにより 長距離での疲労をなくす」というのは「なるほど」と思ったところです。 これについては今後、追試してみたいと思っています。 馬を利用する以外は自分の足で歩くしかなかった時代、 いかに速く歩くかについて 真剣に試行錯誤が行われたに違いありません。 そこから得られたであろう現代人の知らない技が、 失われてしまったことは誠に残念です。
東京都医師会で奥様同伴の親睦旅行、伊豆は湯が島温泉に一泊してきました。 旅費を毎月積み立て、2年目の期末に行う恒例の親睦旅行です。 一昨年は新幹線が何時間も風で停まり、ひどい目に遭いました。 今回は、メンバーに とても心がけのよい人が居たのか、 2月初旬とは思えぬ春の陽光、 のんびりとした良い旅でした。 うちの奥様は2、3年前から出るようになった寒冷蕁麻疹を警戒し 参加しませんでしたが、旅行は終止温かな陽気に恵まれ とても残念でした。
翌朝は、いつもの習慣で5時半にひっそりと布団を抜け出し、露天風呂へ。 暗かった空が次第に白みはじめ夜が明けてゆくのを、 露天風呂の湯のなかで見るのも格別でした。 まだ部屋へ帰っても寝ている仲間を起こすだけなので、下駄をつっかけ旅館の外へ。 近くの川にかかった吊り橋を渡って対岸へ行ってみたり、 それでも時間を持て余し誰も居ない暗いホールで、 中国武術の朝トレ。
2日目の昼は戸田漁港前の磯料理「丸吉」で、 美味しい高足ガニとビールで舌鼓。 関節をポキッと折ると、するするっと身が出てきて、 とても食べやすい。まるで食べてもらうための構造か。
カニ・アレルギーのメンバーに出された代替の 金目鯛の煮付けがとても美味しそう。 こちらの席の4人でオプション注文してしまいました。 とても豪華な金目鯛。身をほぐし白いご飯に載せ 煮汁をかけると、何杯でもご飯をおかわりできる美味しさでした。
背景は銭湯の壁ではありません。戸田港を見おろす展望台
間近に見える富士山がとても奇麗でした
Web版 電子カルテも毎日の外来診療で快適に使えるようになり、 開発も一段落してしまいました。私は「開発」こそが楽しい人なので、 こうなると何か物足りなくなります。
スケジュール管理には、Apple 環境ですと iCal という優れた環境がありますし、 Google ではカレンダーなど、優れたツールがいくつもあるのですが、 やはり自分の作ったツールの方が何かと便利です。Schedule と命名したツール。 これも Web アプリですので、自宅のパソコンや、出先のノートブック、 最近は iPhone からも見られます。 ただ iPhone で使うには文字が非常に小さくなってしまいますし、 インタフェースも非常に使いづらいものがあります。
そこで iPhone 用に Schedule を手直しすることにしました。 Schedule にアクセスすると、ブラウザーが PC なのか iPhone かを検知し、 専用画面へ誘導します。 文字を iPhone 用に大きくしたり、配置を小さな画面でも使いやすく 改良することができましたが、ボタン類の大きさが変更できません。 iPhone SDK の本を買ってあったことを憶い出し、 開いてみました。「あ、そうか。Web アプリは iPhone 専用アプリではないので、 ボタン類を大きくできないんだ」ということに気がつきました (この頃、年齢のせいか、時々こういうアホな思い違いがあります、、 いや、若い頃からあったかも)。
iPhone アプリとして作れば、思ったようなユーザインタフェースにできそうですが、 とりあえずは今回の改良で iPhone から使うのも大分快適になったので、 しばらくはこれで良しとしましょう。 複雑な入力は iPhone からではツラいものがありますが、 汎用入力する項目については一発選択。かなり実用的になりました。
まだ米国版限定ですが、Apple 社のブラウザー Safari の 4.0 beta がリリースされたとのこと、早速ダウンロードしました。 iTunes でお馴染みのカバーフローが搭載され、 かなりダイナミックな使い勝手になりました。
新しい Nitro エンジン搭載により JavaScript の実行速度が Safari 3 の 4倍、IE7 の 30倍、Firefox の 3倍速くなっているそうです (それにしても IE って、やたら遅いんですね)。 Web 版電子カルテにとって、JavaScript の実行速度は重要です。 早速、試してみました「おー、なるほど」、 画面の展開速度が上がっているようです。これなら JavaScript の速度が上がったという Google の Chrome Mac 版を待つこともなさそう。 しかし、ベータ版のバグなのか、私のコードの書き方が反則なのか、 一部の画面が正しく配置されない状況が見られます。 時間のある時、原因を追及してみましょう。
このページを書いていて、フレーム内の更新がブラウザーを再表示させても 反映されない症状のあることがわかりました。 これは完全にバグでしょうね。他にもあるかも知れませんが、 しばらくこの新しいブラウザーを使ってみることにします。
うん、今度の Safari を使い慣れると、 従来のブラウザーでは物足りなくなるでしょうね。 それにしても、このように「あっ」と言わせる サプライズを時々提供してくれる Apple 社には、感謝、感謝です。 療養中の Jobs CEO は Apple 社復帰以来はじめて、2月の年次株式総会を欠席するそうです。 彼の病状が気にかかるところです。
・・・そして半日もたたないうちに・・・
致命的バグ発見。開発環境の Xcode が何度やっても立上がりません。 どうやら Safari 4.0 が書き換えたライブラリーのどこかが原因と思われます。 Safari 4.0 に入っていた UnInstall のパッケージを動かして、 Safari 4.0 をアンインストールしました。あれ、、それでも駄目です。 Xcode をインストールし直してみましたが、まだ駄目。 Safari 4.0 をインストールした もう一台のマシーンもまったく同じ症状。 うーむ、結構致命的バグなので、近々のうちに バグ・フィックス版がでるだろうと思うので、それを待ちますか。
今迄もリスク承知でベータ版を使ってきたことはしばしばありますが、 今回は「やあ、参った参った」でした。
・・・そして Web で探してみると・・・
この症状は早くも世界中で認識され、結構話題になっていました。 「Xcode 3.1.2 をインストールすることで問題解決がはかれる」という情報で、 早速 Xcode 3.1.2 をdownload してみました(Apple の開発者会員である ADC 会員にならないと入れません)。 結構でかいファイルなので時間がかかりましたが、 インストールしてみると無事 Xcode 立上がりました。めでたし、めでたし、、 Safari 4.0 をアンインストールしてしまいましたが、 めげずに再度インストールすることにしましょう。 何故って Safari 4.0 は それだけ魅力的だってこと。
「再インストールでまた Xcode が立上がらなくなり、また Xcode 3.1.2 の再インストールが必要」になることも覚悟しつつやってみました、、 しかし心配無用、大丈夫でした。すでに Xcode 3.1.2 がインストールされている場合、 Safari 4.0 とのライブラリーの不整合は発生しないようです。 なーるほどね、おそらく Apple 社内では Xcode 3.1.2 を使うのが当たり前になっていて、 このバグに気づかずリリースしてしまったのでしょう。
最近 Apple からリリースされるソフトウエアは、 インテル・マシーン + MacOSX 10.5 以上でないと、 満足に動かないものが増えつつあるように感じます。 「旧来からのシステムを使い続ける人間を切り捨てるのか」と、 この状況に異議を唱える人も少なくないと思いますが、 旧 Apple、NeXT と Jobs につきあってきた私として違和感はありません。 「常に最新・最強の環境で仕事をする」流儀に賛同するものです。
これが Apple 社と Microsoft 社との大きな違いのひとつ。 これにより Apple 社のユーザは、常に新しい革新的なユーザ体験を、 一足先に手にすることができます。 前者が新しい道を開拓し、 後者がそれを商売にする図式となっています (その逆も真ではありますが)。 そう言えば「コンピュータ・アレルギー」の原因の多くは、 コンピュータという道具の「使いにくさ」「難解さ」にあると思います。 最初から Apple 製品を使うことができれば、 その頻度はかなり下がるはずなのですが、 一方で Apple 製品への「食わず嫌い」という要因も大きいように思います。 それを iPod や iPhone が、かなり解消しているようですが、、
Safari 4.0 の JavaScript がこれだけ目に見えて速くなってくると、 外来診察室の iMac もインテル・マシーンにしたい欲求が膨らみます。 電子カルテを使うのが、さらに快適になるはずですから。 外来のマシーンは、まだ PowerPC + MacOSX 10.4 なのです。 こちらもそろそろ、インテル iMac にリプレースを考えていますが、 もう半年もしないうちに、新しい iMac がリリースされそうな雰囲気で、 じっと堪えているところです。
東京産婦人科医会60周年で 「東京の周産期医療を考える」という 記念シンポジウムが行われました。 産科医療現場、東京都行政、助産師、マスコミ関係の方々から、 非常に中身の濃い話、 フロアーとの熱心なディスカッションが行われました。
ここで、ある新聞論説委員の方が、 私が一番言いたいことを明確に述べてくれました。 「医療崩壊を明確にしたのは、 小泉政権の財政主導による徹底的な医療費抑制政策が原因」 「これにより医療機関の経営が非常に困難になり、 医師不足、看護師不足が生じている」 「大病院への産科医師の集約化だけでなく、 一次医療を支える診療所も大切」。 素直に考えれば わかる理屈を、 誰も言おうとせず私はいら立っていたのです。
企業なら、満足な給与や処遇を与えられなければ、 技術者が居なくなってしまうのは当たり前です。 病院や診療所では、トヨタや SONY のように突然 「経営が成り立たなくなったから職員を大幅解雇」 というわけには絶対にいきません。 しかし、現状では医師も家族を養っていくことがでず、 他へ生活の糧を求めざるを得ず去っていったり、 新しい産科医が来なかったり、が実情です。 看護師も同じです。
昔のように世の中が、 何につけても8割で満足していた頃は平和でした。 しかし皆が 100%を求めるようになって、 おかしくなってしまいました。 難産で産婦さんとともに夜を通し頑張っても、 結果が悪ければ訴訟となり、良くても当たり前。 昔のように感謝はされません。 産科医のストレスたるや想像以上のものがあります。 自然界でも最もリスクの高い「生命誕生の場」で、 常に100% を実現することは本来不可能なのです。 「経済至上主義」による「儲ければよい」から 「自分だけ得すれば良い」「自分だけは最高のものを」との 人間の欲望のなせる業と言えるのではないでしょうか。
産科医師不足の中、 センター病院へ産科医師を集める「集約化」は当面の方策ですが、 それを支える周辺の診療所がなくなったら、 即、センター病院はパンクするでしょう。 また妊婦さんも何かあった時、遠方で満杯状態の病院へ行く前に、 近くに気楽に受診できる診療所があれば、 どれだけ安心かわかりません。
今から20年ほど前、日本のお産は今よりずっと多かったのですが、 現在のように「妊娠しても入院する医療機関がない」 という状況は予想もできませんでした。 多くの診療所と病院があったからです。 そして、これは現在もですが、 周産期死亡・母体死亡に関して 世界で最も優秀な成績をほこる日本の産科医療の半分は、 診療所が支えています。しかし、その産科有床診療所も どんどん消え去りつつあります。
まさに生態系が変わって絶滅するケース。 公害や外来種で日本から失われた生物は数多くありますが、 産科医療もそのひとつです。 マスコミも本当はちゃんとポイントを理解しているのに、 これが実際の報道と乖離し、 現場の人間に「そうじゃないんだよなあ、、」という印象を 与え続けているのは、何故なんでしょうか?
歴史的大不況で、 一生懸命働きたくても職のない人が溢れるなか、 一方でわれわれ診療所へは看護師さんを募集しても、 まったく、絶望的に人が来ません。 病院の看護師不足で、すべて吸い取られているのです。 専門職ゆえ誰でもできるという訳には行きませんが、 それにしても「何か変、、」と思ってしまいます。
小学校同級生世話人の新年会がありました。 地元の区立小学校で、同級生の多くが各地へ散らばってしまいましたが、 集まった世話人は男女半々8名のうち7名が地元に根付いた人間です。
酒を傾けながら楽しく話は弾みましたが、その中で 「今の世の中は非常におかしい」 「われわれが子供の頃は殴り合いの喧嘩はしても、もっと人間的だった」 というような話から、それぞれに歩んできた人生はまったく違っていても、 同じ価値観を持っていることを再確認しました。
「よき日本を知るのは戦中戦後をまたがった我々の世代」 「われわれが居なくなったら、日本の良き伝統・文化を伝える人間はいなくなってしまう」 ということで、 「何とか世の中を良い方向へ戻すお手伝いができないだろうか」 「たとえ些細なことでもよいので身近なところから」 というような意見がでました。
酒の席で良いアイデアが浮かんでも、 なかなか実現に移すのは難しいことも多いのですが、 できれば挑戦してみたいところです。 そんなことで、たまたま私はもうひとつの呑み会とバッティングしていたのですが、 こちらの方がとても楽しく、 後の会は珍しく大幅の遅刻となりました。
居酒屋トイレの壁にあった言葉、とてもオシャレ