わーくすてーしょんのあるくらし ( 374 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
わーくすてーしょんのあるくらし ( 374 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
選択したものが、その先の人生となっていく という文言に目が留まりました。まことに「そうだよなあ」と実感。
前にも書いたように、「大学で馬術部に入ったのをきっかけに、仲間たちと思い切り過ごした青春という人生最大のピークの時期を得られた」「消極的・引っ込み思案だった性格が、積極的で見知らぬ人とも恐れず話せるようになった」「たまたま雑誌でみつけたパーソナルコンピュータ購入がきっかけで、コンピュータ仲間やソフト開発の世界が広がった」「世に先駆け電子カルテを開発、仕事に使うようになった」「それらがきっかけで、医師会活動や人脈が広がった」などなど。わらしべ長者のように、連想的に人生が展開していったのは、すべて一つの選択から。コンピュータのプログラム の中味も「YES/NO や多肢選択の組み合わせ」から成り立っています。つまり「どんな複雑なソフトウエアも選択の連続」、考えてみれば人生だってソフトウエアだもんなあ、、人生に答えはなく、選択だけ という文言もあります。
アップルの創設者 Steve Jobs がある時期から、決まった銘柄のジーンズと黒いタートルネックしか着なかったのは、いつも新しいアイデアの実現に情熱を注いでいた Jobs にとって「毎日、着る服を選ぶ」という作業を省くことは「仕事の生産性が上がる」という理由からなのだそうです。選択という作業が脳にいかに負担を強いるかということ。
パリ五輪を前に、男子バレーボールの石川祐希の同じようなエピソードが紹介されました。イタリアでの武者修行9年間、ご飯はグラム単位で日々、同じ量を食べることを明かす。「同じものの方が時間もかからないので。栄養が取れてないってこともないし」と、自炊した肉料理と野菜スープ、465グラムの白米のメニューを披露した。
電子カルテなどソフトを開発していて、私がもっとも重視していたことは「いかに目の前からボタンなど選択肢を少なくするか」「ユーザの思考過程を先取りし、欲しい情報だけがさっと目の前に現れるソフト展開」「Simple is best」。医療現場で医師は「受診者の状況を把握・検査結果などを分析・診断そして治療について熟考」という作業へ集中的に全力を注いでいます。そんな時、馬鹿なソフトウエアが仕様もないことを何度も繰り返せば、どんどん脳に疲労が溜まりイライラもするというもの。
終戦直後、戦争から復員してきた父が裸一貫から借金で建てた診療所と職住一体の我が家の生活を懐かしく想出します。1940年代後半、まだ私は小学1年生でした。
あの頃、父母と私と弟、家族4人が暮らしていたのは畳の8畳2間でした。この他に入院患者さんの賄いと兼用の台所、浴室、便所、これが住まいのすべて。住宅と背中合わせに産婦人科診療所と2階にお産の入院室がありました。生活の殆どは畳敷き2間。ここに夜は布団を敷き、昼間は折りたたみのちゃぶ台を広げ、家族4人と看護婦さん3人お手伝いさん1人、その他に下宿人の医学生1人と食卓を囲み食事をしたものです。部屋にその他にあったのは茶箪笥とタンスがあったかな。このようにシンプルな生活、当時これは日本の中流家庭の平均的な生活だったはず。
私が小5の頃、夕食後 週に1度、生花の先生がいらして、母と従業員が習っていました。その間、父と私達兄弟は隣の8畳間でそっとしていたのですが、TV もない時代。父は近所の映画館に我々を連れ映画を観に行ったりしました。「ゴジラ」の最初の作品が登場したのは、私が小6の時でした。
ある本を読んでいて「なるほど」と気が付かされたのは「日本の畳む文化」。上記「布団」「ちゃぶ台」の他に、夏の夜は寝室に「蚊帳」を張ったり、服を掛ける「衣桁」「扇子」「屏風」「風呂敷」などなど。部屋の使い方も布団を敷けば寝室、ちゃぶ台を広げれば食堂、上等な座卓を出せば客間、金屏風を広げれば結婚式場にもなります。日本人はこのように「畳む文化」で一つの空間を多様に使うシンプルな生活をしてきました。
これこそ、まさに現在叫ばれるエコでありサステナブルですよね。ということで、私の生活も見直したいと思うのですが「うーむ」、なかなか身の周りの「畳めないものたち」をどうにかしようと思っても、難しいなあ、、はて、、
7月に入るとともに猛暑の朝が多くなりましたが、時には朝の外気温25度前後のこともあります。最初から暑い時は長い距離を歩く元気ありませんが、涼し目の朝は「ちょっと距離を延ばしてみようかな」という気にもなります。
そんなことで暑い日はショートカットして1,2キロ、涼しく調子良い日は7キロほど歩いています。そんなことをしているうち暑さにも多少慣れてきて、やや暑くても4キロほど歩くこともあるようになりました。
身体がやや「ダル重」の時は、公園や道端のベンチで5分ほど座って再起動。これでまたしばらく距離を延ばせるようになります。汗腺もほぼ開いてきたようです。
で、歩きの要領は、最近書いているように「着地側の足でしっかり地面を踏みしめ、反対側の足を浮かしてもグラつかない意念」。この歩きでは、ゆっくり足を踏みしめるので、歩度はゆっくりになりますけどね。
年末に予定される米大統領選を控え、民主党のバイデン候補と共和党のトランプ候補の対決が早くも熱を帯びています。
共和党支持者を前に演説するトランプ候補、突然ビシッという音とともに右耳を抑えしゃがみ込む。140m離れた屋根の上から狙撃した犯人は、シークレットサービスにより直ちに射殺された。トランプ候補は右耳先を銃弾で引き裂かれただけだったが、後ろに控えていた支援者集団の中から1人の死者と2人の負傷者。トランプ候補は、たまたま資料のスクリーンを見るため振り向いた瞬間だったため頭への被弾を避けられた。
これに比べ日本の安倍晋三元総理は演説中、後ろの騒動に振り向いたため首元に被弾、即死に近い状態だった。後に安倍氏をそれた銃弾が遠方の建物に着弾しているのが確認されたが、幸いなことに演説を聴いていた群衆に被害はなかった。
トランプ候補は「神が自分を救った」と言い、犠牲になった聴衆の消防士を英雄視する発言をしていたようだが、一身に銃弾を受け亡くなった安倍晋三氏と、支援者が犠牲になり自分はかすり傷しか追わなかったトランプ候補、「人柄」と「運命」の関係をつい考えてしまう。過去にはケネディ大統領のこともあった。
パリ五輪開幕を1週間前にして突然ショックなニュース。体操女子チームは五輪開幕を前にモナコで合宿していたが、キャプテンを務める宮田笙子選手19歳に選手規範に反する喫煙・飲酒行為があったという内部告発があり、宮田選手は事情聴取のため急遽日本へ呼びかえされ事実が認められたため五輪出場辞退になった由。
どう考えても規範に違反を承知で喫煙・飲酒をした本人の行為からの結果ということは否めないが、一生の中でもこの日のため長い年月臥薪嘗胆してきたであろう彼女の心中を思うと「可愛そう」の思いが強くこみ上げてくる。
すでにエントリー申告期間を過ぎているため、病気や怪我でない限り補欠選手の出場は認められず、団体戦は5名ではなく4名で戦わざるを得ないという。キャプテンを務める宮田選手は多くの種目で好成績を期待されるエースであったため、団体のメダルの可能性は無に等しくなった。これに奮起し日本チームの個人戦での活躍に期待したい。
大谷翔平君の通訳水原一平君の突然の暗転ほどではないものの、ある意味似たようなショックなニュース。宮田選手、現在の自己反省と落ち込み いかばかりかと思われるが、これを十分反省し心機一転、いずれ次の五輪へ向け立ち直ってくれることを心から期待したい。
乗り物についてのインタビューを視聴していて「今一番乗りたい車種は?」と訊かれたら、自分としては何だろうと考えてみました。
最近一番乗りたいと思うのは、学生時代 初めて父に買ってもらったトヨタ・パブリカだなあ、、学生の分際で父に買ってもらうというので遠慮し、普通車としては最も格下のパブリカ、それもラジオも暖房もついていない地味なグレーのスタンダード車でした。ところが乗ってみると、たった 800cc の空冷2気筒エンジンにもかかわらず、贅肉のまったくないボディのせいで とても軽快で、幅広低圧タイアのお陰で他の車がスリップし登れないような急傾斜の砂利の山道をジープ顔負けに登れたりしました。そのように性能のバランスが良かったため、流線型ボディーにこのエンジンを乗せたトヨタ・スポーツ800がレースで活躍したりしましたが、スポーツカーに憧れていた私もこのパブリカで十分満足していました(特注の黒バケットシートにフロアシフト仕様だったので、気分だけはスポーツカー)。
その後、日本グランプリで生沢徹が乗りポルシェを抜いて話題になったプリンスの 2000GT にもしばらく乗っていました。性能的にはパブリカは比較対象にもならないものでしたが、今乗りたいのはやはり軽快なパブリカだなあ、、
そんなことを考えつつ「まてよ、もっと楽しいのがあるぞ」と、それはオフロードバイク。40年ほど前、HONDA XL250 というオフロードバイクに乗っていました。あれは楽しかったなあ、馬術部で馬に乗っていたときのように、全身に自然の空気を感じ両股に挟んだバイクを自由に振り回せる、あの感じは何とも言えない、車では味わえないもの。厳冬期のライディングは辛いかなと思っていたが、そうでもない。両足の間に温かいエンジンを抱いているので股火鉢、寒風の中でも案外快適なのでした。250cc もあれば公道のシグナルグランプリで他の車を一気に置き去りにできる。とても自由な楽しい乗り物でしたが、混雑する都会で乗るには余りにもリスクが大きい、いくら気をつけていても一発ドカンとやられればアウトと感じ、手放すことになりました。まさに「河豚は食いたし、命は惜しい」、妻子の責任のない独り身ならずっと乗っていたでしょうね。
とにかく学生時代は馬術にどっぷりハマっていました。開業し数年後、自分の馬を乗馬クラブにあずけ、診療開始前の早朝に乗りにいったり、休日の朝 馬場で汗を流して帰ってから自宅でビールをひっかけ昼寝する時など「天国、天国」と思ったものです。
昔、秦野に別荘があった頃、近所に住んでいた水の江瀧子さんが自宅に馬を飼っており、近くの馬場へ私の別荘前を通るとき声をかけたことがあります。私が夢想していたのは「郊外に自分で設計した家を建て、自宅周囲の庭に馬で周回できるようなスペースを設け、自邸で馬に乗る」という夢。水の江さんの場合は本当にお遊びのようなものでしたが、私の場合は障害を飛んだりできる本格的馬術のできる馬。飼うこと自体もたいへんですし、夢のまた夢。
ところが最近、それを本当に実現している人が居るのを知り腰が抜けるほどびっくり。先日 建てもの探訪の番組で紹介されたのは郊外に建てた瀟洒な家ですが、お住いの若い奥様は学生時代ヨーロッパへ馬術留学し国内の試合で何度も優勝しているような方。自宅は東北の曲屋のように馬房を包含。庭に広い馬場を設け、放牧した愛馬を自宅の居間から眺められる。「へえ〜、こんな夢、本当に実現しちゃってる人いるんだ」とびっくり仰天。でも、これ維持するのかなり大変だと思うよ、、
で、最近 夢想するのは馬でなくバイク。これなら飼育も大変ではないし、自分の敷地で乗るなら危険性も少ない、馬より実現性はずっと高い。「バイクの音がうるさい」というご近所さんのない場所である必要はありますけどね。