わーくすてーしょんのあるくらし ( 377 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
わーくすてーしょんのあるくらし ( 377 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルによるガザ攻撃など、罪もない多くの民間人の死傷が止まないという現実がある。2001.9.11 同時多発テロ後、米国は報復の声に満ち、中東へ派兵。この時私が思ったことは「テロの根底には中東への長年の米軍派兵から、巻き添えで親兄弟や子供を失った人達の大きな憎しみや貧困がある」「米国がやるべきことは軍隊派遣ではなく、テロ発生の根源となる貧困で悲惨な生活を無くすこと」「北風と太陽の話を思い起こすべき。米国は強い北風で衣服を無理やり剥ぎ取ろうとしているが、そうではなく温かい太陽の日差しがあれば自然に上着を脱ぐことになる」「北風は強い憎しみを生み、相互に北風が吹き荒れるようになるだけ」「憎しみは憎しみを産み、どんどん燃え上がる」。
イスラエルとガザの現状についてのドキュメンタリーを観ました。今回の紛争前から、イスラエルに抑圧されたガザでの生活はそれは悲惨なもの。それはどこから来るかというと、トラウマとなって染み付いているナチスのホロコーストの恐怖。現在のイスラエル政府は「敵対する可能性のあるものは、徹底的に恐怖で押さえつける」という外からは信じられない心理状況にあるようです。恐怖や暴力は、相手に同じものを発生させるという負の連鎖を誘発、それはどんどん拡大する。
これに対し、パキスタン・アフガニスタンの無医村に診療所を幾つも開設し医療を施したり不毛の土地改良などに尽力していた中村哲医師はまさに太陽の活動でしたが、不運にも地元テロの凶弾に倒れたのは誠に残念なことでした。まさに世界に範たる「太陽の活動」を個人の意志と努力で長い時間をかけコツコツ行ってきた中村医師の行動をもっと世界に知ってもらい、その運動を継承し広げてもらうことこそ、今 人類がやるべきことでしょう。
年々、進行の一途をたどる地球温暖化。9月に入っても記録的な猛暑日や線状降水帯による集中豪雨など、世界的にみられました。
中でも、この正月の大地震で大規模な被害を受けた能登地方、先月の記録的降雨量で多くの地区で家屋が流されたり地崩れに埋まったりと壊滅的被害を年に2度も受けたのは本当に気の毒。たまたま一人で自宅に居て突然押し寄せる激流に家屋ごと押し流され行方不明の女子中学生、毎日大勢の捜索にもかかわらず今月に入ってもまだ見つかっていません・・・数日後、福井県沖で漂流中の遺体が漁船に発見されました。父親・祖父ほか総出で連日捜索活動が続いた中、見つかったことは本当によかった。それにしても気の毒な方々は他にも沢山おられたのでしょうね。人生、いつ何が起こるかわからない。
例年に比べ高めの気温ではありますが、10月に入りようやく気温も猛暑日から夏日となり、やれやれと人心地。早朝散歩に出る頃はやや肌寒いのですが、帰る頃には朝日が昇ってきて汗ばむことも。朝の気温17度以上なら、まだ T シャツで大丈夫。風のある時は薄手パーカーを羽織って。
季節も秋になって今月の表紙のように、道端に猫じゃらしが見られるようになりました。先月はじめまで聴こえていた蝉の音もさすがに聴こえなくなり草叢から秋の虫の音。そんな季節になったのに、道端の植え込みに混ざって元気に咲く紫紺の朝顔。
温暖化の影響で季節外れでも咲いているのかなと思いつつ、咲いている場所や状況から、どう見ても観賞用に植えたものではなく雑草? この季節外れの朝顔、1,2年前から見かけるようになりました。以前 朝顔は夏以外みられなかったのに、最近見かけるようになったことや、雑草的に咲いているところをみると「最近入ってきた外来種?」。
植物鑑別アプリで調べてみました。すると、これはマルバアサガオという種類の雑草で、秋の低温時でも咲くので古くから欧米で栽培され、江戸時代に渡来していたよし。私は最近まで見かけたことはなかったのですが、雑草として少しずつ繁殖域を増やし、この地域にも増えてきたんだろうか。それにしても、さすが雑草だけあって秋になっても鮮やかな色で元気に咲き誇っています。
昨年夏の歩行記録を読み返してみると、7月8月ともに月間歩行総距離は70キロに達しておらず、身体の故障があったわけでもなかった私としては極めて少ない。その原因は昨年のコラムを読み返して頂くとわかるように、老年性の筋力低下。何らかの理由で歩かない期間があったという訳でもなかったのに、顕著な足腰の筋力低下がみられました。
ところが今年の夏は、7月113キロ、8月106キロと回復しています。この夏の酷暑の中としては、よく歩いた方と思います。こうして考えてみると、昨年の筋力低下は加齢に伴う節目のようなものだったのかなと思っています。今年はその節目を越え少し筋力が戻ってきたのでしょう。多少の努力の甲斐もあって。若い頃は、このような節目と思われる顕著な身体的変化は見られないものですが、老年になるとこのように段階的変化が見られます。しかし努力を続けていれば、必ずある程度の回復が期待できるので、メゲずに努力することが肝要。
さて今月ですが、1日平均5キロくらい歩いているので、この調子で続ければ月間150キロはいけそうです。歩度はゆっくりで、頑張って歩いているつもりでも追い抜いていく人にどんどん離されていくのは悔しいのですが(70代半ばまで、ほとんど他人に抜かれることなどなかったのに)、まあマイペースで。
今年になって意識している「踏みしめた足で大地からの気をもらいながら、他方の足をそっと前に出す」「踏みしめた足1本で立っても身体がふらつかぬ意念が大事」「着地の衝撃がないよう、前方に出す足は踵からでなく足裏全体で着地」。着地の衝撃は、いずれ股関節を痛める原因になるので、十分な配慮が必要。この歩き方は中国武術の極意でもありますが、このような要点を守りながら歩いていれば、老人に多い転倒防止にも大きな効果を発揮します。
早朝散歩に出るにも、最近はウエアがとても進化していて快適です。
夏場は T シャツで歩きに出ていたのが、ちょっと肌寒くなったら T シャツの上に薄手ベスト。風があり肌寒いようなら薄手パーカーを羽織る(裏地のないペラペラのパーカー、折りたたむと小さくなり場所をとらない)。これでも北風で寒いようなら、これと似たパーカーでメッシュ裏地のもの(メッシュが空気層となり温かい)。気温15度以上なら、このようなもので快適に過ごせています。これらはいずれもモンベル製、モンベルの製品は本当に性能が高く使いやすい。
気温15度を切ってきたら、薄手あるいは厚手フリース、必要なら防風のためベストを組み合わせる。更に気温が下がれば冬場愛用の断熱・防風性の薄手パーカー。昨年も書いたように、こいつは断熱性の高い優れモノ、厳冬期でも厚手フリースの上にこれを羽織るだけで暖かく過ごせる。このパーカーを手に入れてからダウン・ジャケットを着ることがなくなってしまった(このパーカーは名も知れぬ他社製)。
パーカーはフードが付いていて邪魔だし余り格好が良いとは思わなかったのですが、最近はフード付きの方が散歩で急に雨に降られてもフードでしのげ便利なので、フードつきのパーカーを選ぶようになりました(パーカーは撥水してくれるので、豪雨でない限りこれでしのげる)。
一昔前までは、ダウン・ジャケットを筆頭に、ダウン・ベストとか厚手スポーツシャツなど色々なものを組み合わせていましたが、最近のウエアは極めて薄手でかさばらない。振り返ってみるとウエアも大幅に進化し、本当に隔世の感があります。
60年以上前、雪の降りしきる秋田角館での馬術部合宿、あの頃だからダウンでなく恐らく綿入りペラペラのなんちゃってダウン・ジャケット。「こんなもんか」と贅沢を知らなかったことや若さ、今考えると防寒性なんてどうよ、と思える服装でも平気で過ごしていました。地元の人は乗馬ズボンの下に毛のアンダーウエアを履いていましたが、私は薄っぺらな乗馬ズボンだけ「東京の空っ風のほうがよっぽど寒い」と思っていました。雪がしっかり積もってしまうと、そうは寒くないものです。高校の頃、寒い時期になっても親友と痩せ我慢の薄着を競いながら、凍てつく鉄棒に飛びついていたこともありました。若かったですね。
今年から参加させてもらっている高校同級生によるウオーキング会、今回は三鷹駅改札集合、井の頭公園の池のまわりを周遊し、吉祥寺の焼き鳥屋で打ち上げ。当日は早朝に霧雨が降るなど、薄手のレインウエアを用意し参加。気温は25度少々と低めでしたが、三鷹駅集合の時点では、じっとしていても汗ばむほど湿度が高い。それでも緑あふれる井の頭公園に入ると暑さを感じず歩くには丁度よい感じ。やはり緑があると気温も2度前後は下がるんでしょうね。空はどんより曇っていましたが、ウオーキング中は雨の降ることなし。
打ち上げ会もお開きになった頃、霧雨のように降りはじめた雨が、やがて本降りになりました。丁度うまいタイミングでウオーキングができて良かった。誰か心がけの良いひとが居たのかな。私は頃合いを見計らい迎えにきてくれた家内と娘の車に拾ってもらいました。彼女らは愛犬マイの散歩の帰り。
奥様方3名も含め16名参加。80代の団体とあって足取りはたどたどしくもありましたが、それでも同級生の中でもウオーキングに参加しようという連中ですから、それなりに元気といえるのでしょう。
卒業から60年以上経ているので、名前を聞いて当時の姿は思い出されても、なかなか現在の容貌と一致してこない方もあります。小学校の同窓会でもそうでしたが、長い年月を経ても昔の面影が残る人、最初は別人と感じても話しているうち面影が戻ってくる人、いくら話をしていてもまったく昔の容貌と結びつかない人などあります、人それぞれの辿った人生もあるのでしょうが。友人の感想によると私は昔の面影を残しているそうです、そうなのかなあ、、
携帯に電話がかかってきました。名前が表示されないので私の携帯に未登録の相手、最近多発する詐欺電話の類かなと しばし受信をためらった後、受信ボタンを押してみました。こちらが黙っていると「もしもし、大橋先生ですか」「杉浦です」の声。えっ、あの杉浦?喜び勇んで返事をしました。
杉浦は私の1学年下、馬術部ではずっと私の補佐役で私がキャプテンの時の女房役でした。ずっと仲良くしていたのに、卒業とともに馬術部の会合にもまったく顔を出さなくなり、プッツリ親交断絶。どうしたのかなあと、ずっと思っていました。40年ほど前、人生の上で最も落ち込むことがあり、誰にも相談できる相手もなく、こんなとき話できるのは杉浦だけと思って刈谷市の杉浦の実家に電話したことがあります。ところが電話に出た母上から「今、米国留学中です」とのことで話できず。それからまた20年ほど後、東名高速で彼の近くを通ることがあり、車中から電話してみました。これも折悪しく留守中のようで、そのまま通り過ぎたことがありました。まさか、その彼から電話を受けるとは、、
言葉を交わすのは、彼の卒業以来だから58年ぶり。お互い「会いたいですねえ」との言葉とともに、年齢的に遠距離移動に自信がない。パソコンやネットは余り使わないという彼が掛けてきた電話は携帯から、それも iPhone だという。私「それなら FaceTime 機能で顔を観ながら話できるよ」彼「やり方がわかりません」私「じゃあ、一旦この電話を切って。私の方から掛けなおすから」。その後ちょっと試行錯誤はありましたが、無事お互いの顔を見ながらの会話に成功。
携帯画面に写った彼の顔、私の持つ昔のイメージとまったく重なるところがない。彼の若い頃のイメージとともに声は今でも覚えているが、これもお互い経年変化で昔とは似ても似つかぬしゃがれ声。それでも話をしているうち、昔のイメージに重なってくるかなと思ったのですが、とうとう違ったままでした。ちょっと残念。
話は馬術部時代の思い出その他つきることなく、私にしては電話最長記録2時間に及びました。「また、時々こうして電話しようね」と言いつつ電話を切りました。顔を見ながら会話できたにもかかわらず、彼は「会いたいですねえ」を繰り返していました。そのうち、エイヤッと刈谷まで行くか、ゆっくり話をしたいので1泊で。
私より5つほど歳上で呑み仲間の K 先生、頑張って診療を続けていましたが道路拡張に伴い新築ビルに改装、それを機に閉院しリタイア。リタイア7年目の私と違って まだリタイアによる変化は少ないようですが、それでもボイストレーニングに通っていると聴いて「喉のトレーニングのため、二人でカラオケ会やりませんか?」と振ってみました。
リタイア7年目の私、外部と接触しなかったコロナ期間もあり、使わなくなった声帯がめっきり機能低下。たまに人と喋ろうとしても声がスムースに出ず、やっと出る声もシャガレ声という有り様。喉のトレーニング、本当は詩吟が良いのだろうと思うのだが、なかなか詩吟教室を探し通う気にもなれず、カラオケが良いなあと思っていたところでした。
最初は即答を得られなかったのですが、2度目に OK を得て近所のカラオケ・ボックスに行くようになりました。昨今の人手不足の影響か、カラオケ店のシステムも進化。フロントには一人しかおらず、飲み物などはドリンク・バー、会計は自動精算機という具合になっていました。最近増えた自動精算機、便利と思うのですが、初めて使う時は使い方をすぐに呑み込めずマゴマゴしてしまいます。私ならもっとユーザインタフェースを良くし、初見でもスンナリ使えるようにするがなあ、などと、、
余り喋る方ではない二人とあって、カラオケは交互に淡々と歌い時間になれば会計して帰るという、ちょっと味気ない。もっと楽しくなるよう工夫したいとは思っているのですが、、
てな、具合で、今月は老化現象満載号になってしまいました。