わーくすてーしょんのあるくらし ( 383 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
わーくすてーしょんのあるくらし ( 383 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
ようやく満開に近くなった桜ですが、4月1日から冷たい雨にしっとり濡れています。最低気温4度最高でも7度の予想、この雨は明日も1日中続きそうですから2月頃の気温。関東地方では平地でも桜に雪が積もったところが何箇所もあったそう。4月の雪は1984年ぶりと言ってたかな、今回、東京には降りませんでしたが。お花見を予定していた人には残念ですが、お陰で今年の桜は長持ちして長い期間楽しめそう。桜が大好きな私には有り難いこと。
3月は歩きが延びず、月間歩行距離74キロと100キロに達しませんでした。春になってこれからは気分も良く歩きも復活することを期待しています。3月中頃、就寝中仰向けで口を開いていたらしく起きると喉に違和感。何とか誤魔化しごまかし、ようやく治まったと思っていたところ、3月30日昼ころから背中がぞくぞくし始め夕方になると関節痛などもあり、とても辛く夕食後すぐ寝床に就く。この日の早朝散歩は桜を観ようと久しぶりに大崎駅まで足を延ばし、目黒川沿いの桜を愛でながら7キロ歩いてきたのに、帰ってきてから自室でちょっと寒いなと思いつつ、もう暖房をつけるほどではないしと思いつつ過ごしたのが再発のきっかけなのかなと。ちょっと前まで、こんなヤワなことなかったのに
翌日は1日中寝たきり。関節痛や腰痛が強く、寝ていてもかなり辛いが、やはり寝るのが一番。こうして風邪で床に就くのは、かなり久しぶり10年以上になるかも知れない。やはり年齢で体力落ちているんだなあと、、
先月ご紹介した「NEXUS 情報の人類史」ぼちぼち読みながら気にとまったこと。以下要約
ひとつの考えとして「情報は真実につながり、人々は真実を知れば力と知恵を手に入れやすくなる。これは心強い考えだ。真実を無視する人はたいした力を得られず、真実を得た人は力を得る」。もし、これが正しかったら、私達は大統領・高位の聖職者・CEO は賢く正直だと信じ枕を高くして寝られることだろう。政治家が嘘や欺瞞の助けを借りてうまくやることがあるかも知れないが、長い目でみれば自滅的戦略となるはずだから。
残念ながら、これは私達の暮らす世界の実情ではない。例えば原子爆弾の作り方の真実を知っても、たった一人で作るわけにはいかない。ウランを掘る作業から爆弾を組み立てる作業まで多くの手を借り、彼らを目的に沿い進ませる必要がある。太古の時代マンモスを狩るにしても同じ。マンモスを狩る方法を知っていても、何人もに協力してもらわねばならない。マンモスを倒す呪文を知っていてもマンモスは倒せないが、呪文で協力者たちに力を与えることはできるかも知れない。すなわち「力は真実と秩序を頼りにする」が、大抵はイデオロギーを構築し「秩序で人々をまとめた人間が主導権を握り大きな力を発揮する」。場合により真実はなくてもよい。
もうひとつ問題がある。「真実は複雑な要素が絡み合い、正しく理解させることが難しかったり、必ずしも快いものとは限らない」これに対し「虚構はいくらでも融通がきく。簡潔かつ快い響きで伝えることが可能」。政治家が「イスラエル占領下のパレスチナ人がいかに悲惨な状況かを説明しても余り票は集まらない」が、「不愉快な真実を無視し、ユダヤ人の過去の栄光に焦点をしぼって遠慮ない粉飾で国民神話を語れば多くの票が集まる」だろう。
これが SNS で起こる多くの問題点、トランプ大統領らの躍進につながる理由と思われます。
「NEXUS 情報の人類史」では、凄い勢いで成長しつつある AI にまつわる危険性についても述べています。色々な例が挙げられていますが、その一部を紹介してみます。
Google のブレイク・レイモンは自分が取り組んでいたチャットボット LaMDA が意識を得て「電源を切られるのを恐れている」と確信するに至り、「LaMDA をデジタルな死から守る」のが自分の道徳的義務と感じるようになった。Google 重役陣がこの主張を退けると、レイモンは自分の主張を公表し、解雇された。興味深いのはレイモンの主張ではなく、レイモンがチャットボットのために給料の良い自分の職を進んで危険にさらし、ついには失った点だ。チャットボットが人々に影響を与え職をリスクにさらさせることができるなら、他に何をやる気にさせることができるだろう。人々の心をつかもうとする政治や商業の戦いでは、親密さは強力な武器になる。
これまた警戒すべきことだが、私達がオンラインで議論を行うとき、人間だと思っていた相手が実はコンピュータだったということが、これから頻繁に起こり得る。人間のふりをしているコンピュータと議論を行えば二重の意味で負ける。第一に、チャットボットの意見を変えさせようとしても説得の仕様がなく時間の無駄、意味がない。第二に、ボットと話せば話すほど自分自身の多くが明らかになり、ボットは自分の主張を磨き上げ、私達の見方を変えさせるのがますます容易になる。
このような AI の振る舞いは、誰かに指示されているのではなく、単に「相手を説得する」というようなルールに基づき自動的に行われるところが時によって恐ろしいことになる。つまり、人間がやっているようなフィードバックによる修正が効かないのだ。
このような AI のお利口な振る舞いは、単に「多くの言葉を集積し、分析し、活用する」という原理につきる。だから「言葉だけでやりとりしたり、聴いた情報だけで判断する」ことは、これからは避けるべきことになるのかも知れない。
4月初旬は今冬の余韻が尾を引いて冷たい日が数日続き、お陰で予想通り今年は桜をいつもよりやや長めに愛でることができました。そんなことで早朝の気温7度前後だった日を5日ほど過ぎると、早朝気温も10度を越えるようになり、昼間は25度と夏日を記録する日も度々ありました。
ようやく陽気もよくなり早朝散歩も距離が延びるかと期待していたのですが、1日あたりの平均距離は4キロに届かずそれほど快調には延びてきません。それでも月末の27日は馬事公苑で学生の全日本医歯薬馬術定期戦があり、数日前から準備の体調管理。競技日の1週間前には思ったより調子が良く、目黒通り・環七・中原街道をめぐり8.7キロと距離を伸ばすことができました。碑文谷を過ぎれば、ずっと下りだったことも距離を延ばせた一因かもしれません。
後述する馬事公苑まで往復16キロ歩行の翌日、脚の痛みや疲労感など まったく有りませんでした。これは如何に脚に無理な力を掛けず歩くかという長年の研究の成果。ただし、これだけ長距離の歩行となると躯幹のこわばりや疲労感は少々残りました。これは脚だけで歩くのではなく全身で歩いた証拠。いずれは躯幹にも無理な力を入れず長距離歩けるようになれば更によいと思っています。
そんなことで今月の歩きは、まあまあ、やっと何とか、という感じ。長距離をこなすには、先へ進もうと気を焦らせないこと、姿勢を正し、ただただ一歩一歩、淡々と歩むこと、ってとこかな。
馬事公苑で行われる学生の試合には卒業以来ずっと行っているのですが、20年ほど前から片道8キロを徒歩で往復しています。コロナ明けの昨年は頑張ってようやく馬事公苑まで歩けたものの、帰りはバスでした。昨年、この日は直射日光がかなり強く暑かった。
今年は好天ではあったものの北風が比較的強く、屋根の下、日陰での観戦では学生達も寒いと言うほど。天気予報によれば1日中晴れで昼の気温は20度を越えますが、放射冷却により朝の気温7度と結構低く気温差が大きい。着てゆくものにあれこれ迷った末、半袖シャツの上に一番薄いパーカーを羽織って行くことにしました。暑くなれば小さくたたみ肩掛けバッグに収納できる。これは大正解でしたが、裏地のない一番薄いやつでなく、裏地のついた薄手パーカーにした方が良かった。それほどに風は冷たかったのです。しかし、日向は吹く風も清々しく、とても気持ちの良い天候でした。
往路はベンチで3回ほど休みましたが、空気は清々しく馬事公苑にたどり着いたときの疲労感は昨年よりやや少なかったかな。復路はバスのつもりでしたが、午後0時、馬事公苑を退去しようとすると体調が結構良い。これなら帰りも歩けるんじゃね?
馬事公苑からの弦巻通りは長い下りで往路より大分楽でしたが、行程半ばからは惰性で何とか歩いているものの身体はかなりヨレヨレ。休みたいタイミングでベンチや腰掛けられる所がなかったのも要因。ようやく家まで1キロ、いつも昼食をとる中華店にたどり着く。丁度2時。ドアを開けると「お昼の時間は終わりました。ごめんなさい」の声。別の中華店に入り、生の中ジョッキと上海肉焼きそばをがっつり食べて、お疲れさん。往路は2時間30分ほどかかりましたが、復路はベンチ休憩なしで2時間15分ほど。20年前書いたものを読むと、1時間20分で帰ってこられたとあります。約1時間も遅くなったということか。そうだろうなあ、、自宅にたどり着き夕方になっても座っていると目がジラジラ、軽い脳貧血のようだ。爺サマだね。夕食後は早く床に就く。