わーくすてーしょんのあるくらし ( 386)
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
わーくすてーしょんのあるくらし ( 386)
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
生きる上で「遊び心」こそが重要ということは、このコラムを書きはじめた頃から唱えてきたこと。私の信条です。だってたった一度の人生、楽しく生きなきゃつまらんでしょ、そして「楽しく生きる」ことは「すべての障害を無理なく乗り越える力」を与えてくれます。
父親のガレージで仲間と Apple 社を立ち上げ、現在の Mac コンピュータや iPhone などを創った Steve Jobs は2つの日課を大切にしてきたそうです「遊ぶこと」「探求すること」
これにより「ほとんど努力せず、生産性を高めることができる」と科学的に証明されているそうです。遊びはストレスを軽減し、楽観的感情を高め、認知的な柔軟性を向上させる。これは遊びや探求が、既成概念にとらわれず、現状を超えて物事を見たり、問題解決の訓練になるから
成長するにつれ遊びや探求から遠ざかってしまうと「既成概念で考え経験の枠内だけの思考になってしまう」ため「できること」の追求が困難になる。「遊び心」により「既成概念にとらわれず、革新し、成果を生み出す能力を養うことができる」のです。
頭を使わず、ただダラダラ過ごすのは「遊び」ではありません。目を輝かせ、楽しくてたまらない、頭をくるくる回して工夫、場合によっては命をかけて、と言うのがここで言う「遊び」です。
これについては前にも書いたように、私は「核家族化」が大きな要因の一つと考えています。核家族化する前は、お爺ちゃんお婆ちゃんはじめ同居する多くの家族が子育てを補助してくれ、逆に子供と接することにより癒しや生き甲斐をもらうこともできた win win の関係がありました。東南アジアなど今だに大家族で暮らしているところでは子供の数も多い。もちろん貧困などとの関連もあるとは思います。
と考えてきたのですが、ここにもう一つの要因を読み「なるほど、それもあるかな」と。実業家の堀江貴文氏が「国民は経済的不安で将来に不安をかかえ、子供を産み控え少子化が加速する」という説に対し「国が豊かになって、子育て以外の楽しみが山のようにあるからですよ」と言及。東南アジアなど大家族で暮らしてきた人達が、生活が豊かになるにつれ子供達は親から離れて生活するようになり、その子供の数も以前のように多くなくなると言うのも、この理屈だなと、、
しかし、私は考えます「生物の唯一の目的は、自分が生き続け子孫を残すこと」。これが二の次になるってことは「その種が絶滅に向かってまっしぐら」ってことでしかないんじゃね?
日本がもう80年もの間、戦乱のない平和を保ち、国民的にも世界に誇れる礼儀正しく・穏やか・知的・高い生産性などを保ってきたことはとても嬉しいのですが、最近ちょっと気になることがあります。コンプライアンス問題など、悪いことではないのですが、もう少しホドホドにしても良いんじゃない?って思うことが、最近チョイチョイ気になります。数年前 TOKIO の山口君が羽目を外して芸能界から干されたことを書いたことがありましたが、先日は国分君がコンプライアンスに反する事案で問題になり、TOKIO は即刻解散に至りました。今年初めから話題をさらっている元SMAP 中居君の性加害疑惑の波紋は大きく広がりフジテレビの存続問題にも関わってきそう
その他 多々ありましたが、「(傍目には)たった一言」で職を失う事案がごろごろ「怖い世の中になったね〜」。純粋で真面目な日本人も、この辺で踏みとどまらないと今度は逆効果の面の方が大きくなるんじゃないの?
私の世代の人間からみると「世の中、もっと大らかであって良いんじゃないかなあ」と思うんですが、それがジジイってことなんですかねえ、、昔はもっと豪胆な人も多かったんだが
この命題、少子化とともに時々ここに書くことになるのでしょう。
田原トシちゃんが、番組の中で女子アナの手に触れたことが炎上して問題になりました。コンプライアンスに触れると言うことで繰り返し散々叩かれました。炎上した理由には彼がこれとともに口にした下ネタがあり、この話題に触れるとき、必ずその下ネタの具体的内容を紹介しつつ非難しています。
これって、おかしくないですか? 下ネタを若い女性に向かって喋ったのが問題と言っているのに、それを非難している人間が下ネタそのものを具体的に公開しているという。何で繰り返し色々な所で下ネタそのものを具体的に紹介している連中は問題にならず、発信源のトシちゃんだけが責めの対象になるの?
まあ、他人のことを声高に責める人間に限って、必ずと言ってよいほど自分自身はちゃんとした生き方をしていない。世の中、そんなもんだよね。
トシちゃん、この問題について公開の席で謝っていましたが、その謝り方がいかにもオジさん的というかトシちゃん的で、それがまた誠意がないとか反省がないとか揶揄されていました。私自身は下ネタ好きでもないし、男の仲間内ならともかく妙齢の女性の居る所で話すのはよろしくないと思っていますが、ちょっと前まではそんなこと普通の景色だったのにね。
鬼の首をとったかのように他人のコンプラ違反を責める連中も、決して上品とは言えないね。男ならもっと気骨ある言葉・態度で生きろ!!
SNS で誰彼かまわず思ったことを無責任に発信、それを見てこれまた無責任な発言を重ねる、という理屈で「無責任な発言ほど広がり、大きく広がった意見は事実と見なされてしまう」と言う悪習。チマチマしたことで他人の揚げ足をとる。何とかならんのかね。最近の世の中に「武士の情け」は無くなったのか、女性化してしまったように思うんだが、、なんてこと書くのも今ではコンプライアンスに抵触ってことになるのかな、桑原クワバラってか、、
私はインターネット実現への実験の時代から関わってきました。当時ここに関わっていたハッカー達(並外れ優れた技術を持ち、皆から尊敬される存在の人物がハッカーなのに、マスコミにより誤解釈されてしまった。悪いことをする奴らはクラッカーと呼ぶのが正しい)は「世界を繋げるインターネットを実現し、皆で快適な生活を送れる世界にしよう」と頑張ってきました。そんな彼らの世界は性善説、ネット上の発言はあくまで実名で責任を持った発言を交わすのが当然。前向きでエネルギッシュ、創造的な仲間ばかりのとても楽しい世界でした。
やがてインターネットが実現 それが一般化した途端、そこで不特定多数が意見を交わす場では、実名を隠しハンドルネームで意見を言い合うことが珍しくなくなってしまいました。これは私が予想していたことでもあったのですが、インターネットの実験が始まるころ一般に普及をはじめたパソコン通信では、匿名で意見が交わされ SNS 同様かなり無責任な意見も多かったのを見ていたからです。
そんなことから、実名で意見を述べる facebook の登場には期待があったのですが、歴史が進むうち期待どおりではなくなってしまったようで残念。性善説で暮らせる世の中の方が、余計な気を使ったり、セキュリティーなんてものに多額のお金がかかったりすることもなく、楽しく心豊かに暮らせるのにな〜
次のネタ考え中、、、
当月中は随時内容を更新しています
時々のぞいてみてください
最近は面子などにこだわらず
少しずつ進む老化現象も正直に記録することにしています
なあるほど人間はこうして老けてゆくんだと参考まで