わーくすてーしょんのあるくらし (32)
2000-08 大橋克洋
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ことしも恒例の「電子カルテ研究会」の年次ミーテイングが宮崎 のリゾート地 SeaGaia で行われました。この研究会も早いもので、 もう5年ほどが経過しました。詳しい由来などは、毎回書いていま すので省略させて頂きます。
参加するにはスーツにネクタイというスタイルは駄目で、半袖の スポーツシャツに半ズボンというリゾート・スタイルが必須という ことで毎回案内があるのですが、どうも今回はカラフルさに乏しい 感じがしました。もうひとつ、いつもととても違ったように感じた のは、会場のノリが全然ないことです。
初日はどういうわけか、進行役などで私の出番がやたら多かった のですが、私の司会が下手なせいもありますがどう頑張っても以前 のような会場のノリを取り戻すことはできませんでした。 参加者の層が大分変わって企業からの参加が多くなったことと、 以前からの常連のメンバーが少なかったためではないでしょうか。
電子カルテの定義については現状でも議論のあるところですが、 ようやくそれがどんなものであるかの全貌がみえてきて、企業が商 機ありということで乗り出してきたのだと思います。しかし、「こ んなにノリがないようじゃあ、良い電子カルテは作れないぞ」など と心のなかで思ったものです。「良いソフトウエアは、遊び心がな ければ生まれない」これが私の考えです。
そんなことで、私としてはちょっともの足りない感じもないでは なかったのですが、それはそれとして、いつもの南国宮崎の明るい 太陽の下で足掛け3日間、楽しいミーテイングに参加することがで きました。
今回は基調講演ということで、NTTのATR人間情報通信研究所の下 原勝憲さんという方から「人工生命と進化するコンピュータ」とい う講演を頂きました。私にとってはとても面白く興奮する内容でし た。コンピュータを使って生命の発達をシュミレートする話でした が、そこから導き出される考えが、まさに私がこのエッセイでもた びたび触れたり考えてきたことととても一致するからです。
講演の中から印象に残ったものについて、ひとつふたつ御紹介し ましょう。私なりに理解したことで書きますので、あるいはちょっ と違っている面があるかも知れません。
ひとつ目は3Dグラフィックスを使って、生命の進化を再現するも のです。まず、正方形をいくつかジュズ繋ぎにした形状のものを生 命と仮定します。これにたとえば「前方へ移動せよ」という条件を 与え、その条件に合った動きをしたものだけを残し、すこしずつ遺 伝子(に相当するもの)を変え世代交代をしていきます。 そうすると海の中を泳ぐ海蛇のようなものが残ってきます。
次に「平面を移動せよ」という条件に変えて、再度進化させます。 やはり蛇のようにくねって進むものもありますが、二つの立方体 をツエのようにしていざって歩くものが発生してきたりします。 次にそのような人工生命2匹の中間に、立方体ひとつを置き、そ れの争奪戦をやらせます。そうすると、片方が蛇のような身体を回 して立方体を確保します。残った方は、腕を伸ばして取ろうとする もの、相手に先に取られるとあきらめてどこかへ行ってしまうもの 、腕を伸ばして上から立方体を押えてしまうものなど、なかなかユ ーモラスな状況が起こって会場から笑いも洩れました。
地球上で生命が発生し進化してきた状況に似たものを、コンピュ ータを使ってもの凄い高速で再現したようなものですが、このよう な単純な実験でも、意外に合目的的なものの発生が比較的簡単に得 られることから、「生物の進化は意外に単純なメカニズムで起こる のかも知れない」と、下原さんはコメントしていました。
このあたりは宗教家との論争になりやすいところと思いますが、 私も以前から下原さんと同じように思ってきました(私は、自然科学 を究極までつきつめると宗教の領域に入り、宗教をつきつめると科 学に行き当たる。地球上をどこまでも行くと同じ所へたどりつくよ うに両者は同じものを違う面から見ているだけ、中途半端にしか極 めていない人間が論争をすると思っています)。
ふたつ目は「生物の進化には死が必須なのではないか」という下 原さんの言葉を裏付けるものです。左右二つの正方形の画面の中に 、丁度シャーレの中央に細菌を培えるように生命と仮定した黒点を 沢山うえつけます。片方の群は永遠の生命をもった群で、もう片方 は一定の寿命しか生きられずに子供を残す群です。
結果を見ると、永遠の生命を得た群は中央に集まったままで、広 がることはなく安定しています。ところが、一定のサイクルで生と 死を繰り返す群は、みるみるうちに周囲へと広がって行きます。 これも大変面白いと思いました。自分自身が生きることに執念を 燃やすよりも、もっと大局的に、良い子孫を残し永続させる方向で 努力することの方が合目的的と思ってきましたが、それとも一致し ます。これを見て、太古の昔にアフリカで発生した人類が、長く苦 しい旅を続けてシベリアから北米大陸へ渡り、ついには南米の先端 まで広がったのは、きっと多くの生と死を伴ってのことだったのだ ろうと思いを馳せました。
産婦人科医として、最近の世の流れには将来への危惧を抱かせる 面が多いように思えます。「自分さえ楽しく生きればよい。子供な どいらない」「すべて完全なものでなければ気に入らない」という のは、やはり生物としてどこかおかしいのではないか、と考えてき たのですが、はからずもコンピュータ・シュミレーションがこれと 同じことを示しています。
光栄なことに、私はこの講演の座長をおおせつかりました。最後 の質問として「2001年宇宙の旅に登場した HAL に近いものが実 現するのはいつごろでしょう」と尋ねようとしましたが、余りにも ミーハー的な質問かなと思い遠慮してしまいました。しかし、後か ら考えるとやはりちょっと聞いてみたい気もします。
同じようなことを、大分前にロボット工学の教授から聞いたこと があります。今から15年以上前のことですが、ロボットを歩行さ せようとする時、安定して立つものを作るとなかなかうまく歩いて くれない。不安定なものだと、ふらふらするので一歩前へ、そして またバランスをとるためにもう一歩と、歩行がうまくいくロボット ができるのだそうです。
だから「人生も安定してはいけない。安定すれば進歩しない」、 このように思います。不安定だからこそ、不完全だからこそ、「よ しもう一歩」ということでやる気も生まれ、工夫が生まれるのだと 思います。楽な生活をしてしまえば、そこで進歩は止まり、やがて やってくるのは、退屈な生活と耐えざる不満と思います。 「不満」は必要なのですが、燃料としてエンジンにくべることが できるものでなければならないと思っています。
もうひとつ思ったことは、「現代人はまさに情報の洪水の中に 溺れ、見るべきものも見えない状態でいる」ということです。 今回見せて頂いたシミュレーションは実験としてはごく簡単なも のだと思いますが、生物に関する専門分野での研究におけるかなり の年月をかけた結果を、簡単に導き出してしまったように思えまし た。もちろんその裏には、生物学の研究成果が基礎にあっての推論 に違いないのでしょうが。
科学技術も今ほど発達していない、古代ギリシャやエジプトにお ける現代科学技術の粋を集めても実現が難しそうな多くの偉業。東 洋における「禅」などの中に凝縮された「真理」。これらは、まさ に頭をシンプルに保つことによって実現されるものだろうと思いま す。
電子カルテ開発においても、いかに頭を「シンプルに」「柔軟に 」保とうかと努力するのですが、ともすると現代の混沌の中に埋も れてしまっている自分を見つけることになります。 幸いなことに年々細胞数の減ってくる私の脳では、どう頑張っても 完璧なものはできないはずなので、永遠に不完全なものとこれからも 長いこと取り組んでいけたら幸せと思っています。コンピュータの プログラミングに取り組んだのは40才位からでしたが、急ぎさえ しなければまだまだイケそうです。
そうか、今後ますます脳の細胞がつぶれていくということは、シ ンプルなものの考え方をするには良いかも知れない、、、などと楽 観的なことを考えている私です。
先月まではやたらと技術的に難しいことばかり書いていたと思っ たら、今月はかなり哲学的な内容になってしまいましたね。従来の ネタがちょっと枯渇していたということでお許しを。
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