わーくすてーしょんのあるくらし ( 396 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
わーくすてーしょんのあるくらし ( 396 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
私は学生の頃、勉強は余り好きではありませんでした。どちらかというと煩わしいと言うか。しかし卒業してから興味のあることについて調べ学ぶうち、それがとても楽しくなっていった。最初は本業の産婦人科についてだったが、40歳直前になってハマったコンピュータ。こいつについて学ぶのは本当に面白く寝食を忘れた。独学で BASIC, UCSD Pascal, C, Ajax その他のコンピュータ言語を次々と学び「欲しいものは作ってしまえ」の精神で色々なアプリケーションを作っていった。世の中にまだ存在しなかった「電子カルテ」の開発もその一つ。これが後々、色々な面でどれほど私を助け、人生の道を開いてくれたことか、、
このようなことから、子供には「勉強しなさい」の言葉を繰り返すより、子供が「興味を持つものや、その機会を与える」ことこそが大切と今さら気が付いたが、もう遅い。人生経験のないうち親になってしまったことが悔やまれる。思い返せば、まだ手塚治虫の「鉄腕アトム」が登場する前から、私はロボットに非常に興味を持っていた。それを見た父は木製のロボットを作ってくれたり(綺麗にカンナ掛けした板で作成した小児大のロボット。目玉の豆電球が光る父としてはリキの入ったものだった)「興味を持ったものを一生続ければ大したものになれるぞ」と教えてくれたが、残念ながら興味は少しずつ他のものへと移っていった。あれから75年ほどを経て、今になってヒューマノイド・ロボットがこんなに現実的になるとは、、
84歳になっても、この世はまだ知らない学ぶべきことで溢れている。今年に入り AI が知識の習得をさらに容易にしてくれている(まだ「嘘ばっかり」のこともあるので、それに心しながら)。
ネットで見つけクスッとしたシルバー川柳、皆んな上手いね。では、私もちょっと追加
メルカリで誰も買わないワシの服
女房から生前退位迫られる
オレオレの相手をするほど暇がある
若造りしても話題はみな昭和
徘徊のルート AI にも読めず
Siri だけは何度聞いても怒らない
靴下を立って履くのは E 難度
私だけ伴侶がいると妻嘆く
無宗教、今じゃ全てが神頼み
自分でも事実かわからぬ武勇伝
懐メロが新しすぎて歌えない
ベンツから乗り換えたのは車椅子
早口の説明 何度聞いても付いてけない
カラオケの字幕の早さに付いてけない
早足なのに今じゃ小学生にも追い抜かれ
5月に入ると かなり暑くなるかなと思っていたのですが、今年は5月に入っても比較的爽やかな天候が続き助かりました。4月までは早朝散歩に袖のある服装が必要でしたが、今月になるとさすがに半袖。歩き始めちょっと肌寒い感じでも、晴れだと帰路には日陰を歩かないと暑い。とにかく湿度が低いのは有難い、日照りが暑くても日陰に入るとスッと爽やか。米西海岸カリフォルニアなどの爽やかな気候を思い出しました。一方これは良いことばかりではなく、岩手県大槌町では複数箇所で発生した山林火災が2週間以上続き、その間全く降雨なく消火がままならない状況が続きました。
中旬に入ると流石に気温は上昇し30度まで上がる日も出てきましたが、まだ湿度が低いので日陰に入れば爽やか。特に早朝散歩はとても気持ちが良いが、中旬になると半袖シャツから Tシャツになりました。
と思ってたら、21日には大陸からの寒気が上空に入り3日間に跨って雨。21日にはモンベルの雨天用ジャケット:ストームクルーザの性能テストを兼ね、雨の中、防水キャップにストームクルーザで早朝散歩。往路3キロは降りも大したことなくフードも被らず歩いたのですが、途中から雨は本降り。以前、三鷹まで20キロ歩いた時も傘は持たずフード付き雨用ジャケットだけでズボンの濡れは大したことなかったのですが、今回帰宅するとズボンは思いっきり濡れ靴下もビチョビチョ、早足で歩いたからかな。この雨で気温が下がり22、23、24日はとてもじゃないが半袖では寒くて外を歩けない。最高気温も20度に届かず4月初旬の感じかな、室内も長袖にベストで過ごす。夜はなんと冬用布団を掛け、これで暖かくぐっすり眠れた。
それを過ぎると身構えていた通り陽気は夏日へ戻り、湿度も次第に上がりつつある。早朝散歩では朝日を避けながら歩く必要あり、でも湿度はまだ梅雨時ほどではない
5月初め、歩いていると良い香りが漂ってきます(年齢のためか嗅覚が最近非常に落ちていますが、それにも拘らず明確に香ると言うことはかなり強い香り)。白い小さな花を沢山つける羽衣ジャスミンかなと思ったのですが、どこを見回してもない。
何度かそんなことがあるうち、写真のような白と薄紫が入り混じって咲く花から薫ってくることがわかりました。調べてみるとブルンフェルシア・ブラジリエンスというのがヒットしました。ブラジル産のナス科の常緑低木で日本ではニオイバンマツリと呼ばれるそうです。そういえば紫色の花はナスの花に似ていますね。紫色の花が次第に白く変化するので、二色の花が咲いているように見えるとのこと。私も一つの株に二色の花が咲いているのが不思議だったのですが、なるほどね。
高校同期会のウオーキング・サークルに参加しました。最近は皆さんお歳とあって歩きは程々に、皆で集まってどこかを軽く散策、最後に居酒屋などで打ち上げが目的となっています。今回は両国駅改札集合、まず国技館内の相撲博物館へ。印象に残ったのは片隅の TV で流されていた「過去の名勝負」栃錦、初代若乃花などなど懐かしい名勝負。ちっちゃな舞の海がでっかい曙の足元にとりついて土俵際で見事に曙を引っくり返す場面、現在もよく見かける舞の海の姿はあの頃と変わっていませんが、懐かしいなあ
その後、国技館隣の立派な建物にある江戸東京博物館へ。かなり混んでいましたが、インバウンド旅行客と思われる姿は予想より少なめ。江戸時代の長屋の再現での座敷や1畳ほどの炊事場、興味深く眺めました「こんなところで煮炊きし生活していたんだ」。戦争直後頃の風景、6畳くらいの和室に茶箪笥と小さな卓袱台。懐かしいなあ、私が小学校低学年の頃、裸一貫で戦地から帰った父が借金で建て直した我が家もこんなだった。Sinple is best あの頃はこれで日常生活送っていたんだよなあ。東京大空襲で被災した地域を示す展示。東京の大きな地図、ボタンを押すと昭和20年4月前後、数度にわたる B29:米軍爆撃機大編隊による空襲で焼き払われた地域が赤く染まり示されます。10数万人の人々が焼死、明らかに非戦闘員の抹殺を目標とした攻撃、ひでえことするなあ、、私の住む地域はどうだったんだろうと見てみると、すぐ近くまで真っ赤に染まっていましたが、かろうじて私の家を含む三角形の地域は延焼を免れたようです。その頃、私達家族は母の両親とともに埼玉県下忍へ疎開、大橋医院は空襲に備えた強制取り壊しで更地になっていました。江戸時代で云われる「火除け地」ですね。あの三角形の地域が赤く染まっていなかったのは、そのためもあるのかな。早朝散歩でその前に5キロほど歩きましたが、いやあ疲れたなあ。両国駅前の居酒屋「目利きの銀次」で打ち上げの冷えた生ビールが旨い、皆様おつかれさま
ところで、この2週間前に麻布学園の同期会がありました。2年前の同期会には66名の出席がありましたが、今年は50名。これから80歳半ばを越えてくるので、どんどん出席は少なくなるんでしょうね。しかし「90歳を過ぎても続けるぞ〜」と意気軒昂な声も
先に書いたように今月は湿度が低い陽気が続いたため、早朝散歩はとても爽やかで気持ち良い。経年劣化による脚力低下への対応も身について、1日平均7キロちょっと歩けています。
そのコツは何度も書くように「サスペンションとなる着地足を自重で沈み込ませ」「その反動で弾むような」歩き、忘れてならないのは「上体を起こし頭の重みをしっかり骨盤に乗せ」「全身を脱力」「自重がしっかり腰の上に落ちるよう歩く」ということ。最近 会得したのは「歩く毎、自重中央のまっすぐ下に支持側大腿骨頭がきて受ける」「力を入れず脱力して」これ結構効果あり(普通でもそうなっているはずだが、意識して歩くことが重要)。
別の角度から述べると「筋肉で歩くのではなく、骨格で歩く」。もちろん実際には筋肉は使っているのですが「意識上は極力脱力し」「操り人形のように全身の骨の連なりで動く」ということ。これには「全身のバランスがとれた歩きでないとできない」というのが重要なポイント。
経年劣化が顕著になり始めた頃は、疲れてくると歩けなくなったものですが、最近では疲れるほどに「全身脱力し」「垂直に落とした自重を沈み込んだ下肢で受け止め」「反動で弾むように歩く」。特に「弾むような歩き」を会得してからは疲れてきても、それなりにしぶとく歩けるようになりました(腕立て伏せも、弾む意識で行うと楽なのがわかったけど、これって反則?)。そんなことで今月は月間歩行距離230キロの記録達成、200キロを越えたのは5年ぶり。
あと、もう一つ、いつも私も忘れがちなのが「呼吸」。若い頃ならそれほど意識する必要はないかも知れませんが、歳をとると呼吸機能も落ちてくるので「呼吸」の意識を高める必要がありそうです。以前書いていたように「早朝散歩していて、ややもすると意識が飛んでいることがある」というのは無くなっていますが、「呼吸」を意識して歩くことにより「体内に酸素を送り込み下肢の疲労の発生を遅延させる」効果があるはずと思っています。これについては、まだまだトレーニングが必要。
# 同じことを繰り返し述べることが多いですが、その時点での「歩術の要領」を書き記しています
後輩学生の試合を応援に馬事公苑へ。私が最高学年の頃に医歯薬(医科、歯科、薬科)の定期戦が始まりました。参加校はかなり増えましたが全て東日本方面、つまり西日本には試合に参加する大学(すなわち馬術部)がないということで、名称に全日本がつくようになったようです。
演技途中で馬場柵を飛越える馬がいたり、経路を間違え審判から何度も指摘されやりなおす選手も(この学生さん、もう頭が真っ白だったに違いない。本来なら経路違反の時点で失権のはずが、医歯薬の学生さんということで審判もかなり甘い対応をしてくれたようです)。しかし慈恵の4選手はいずれも良く乗れていたので「これなら少なくとも3位以内は堅いな」と思いつつ、結果を待たず馬事公苑を離れました。後に学生から、優勝したとのメール。本当に、おめでとう
今回も自宅から馬事公苑まで8キロ歩くのを楽しみに、往路はコンビニで買ったお茶とお握りを食べるのに気持ち良いベンチへ寄ったため、ちょっと大回りになって1キロ多く歩くことになりました。そろそろ暑い気候、白 T シャツ1枚で歩きましたが、幸い薄曇りで微風もやや爽やか、気持ちよく淡々と歩くことができました。そんな調子だったので往路も歩くことに。往路は最短コースの8キロでしたが、最後の2キロは毎朝歩きなれた道にもかかわらず、完全にヘロヘロ
香港島で行われた超ハードなトレッキング・レースで、日本の超人的体力を持つ消防士の選手、途中まで期待通りトップを快走していましたが、初めて挑戦する長距離で次第に体力をそがれ「疲れたのは気のせい、疲れたのは気のせい」と自己暗示をかけながら歩いていました(それでも2位を確保)。これを思い出し私も「疲れたのは気のせい、、」と心でつぶやきながら
帰宅後の身体のヘロヘロ感は半端じゃない。いつもは夜中に何度か目を覚ますのに朝までぐっすり。起床しても身体はグダグダで珍しく朝の散歩はパス。昼までに身体はほぼ回復したが、やはり歳かなあ、馬事公苑まで往復歩けるのは精々85歳の来年までかなあ、と寂しい思いも、、老齢になって無理すると、いきなりバッタリいって周りに迷惑かけるしね