わーくすてーしょんのあるくらし ( 397 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
わーくすてーしょんのあるくらし ( 397 )
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
早朝散歩の円融寺裏門、瑞々しい緑と涼やかな空気
「上からの規制などまったく無く自由にやっていい」と言われると「自分は何をやって過ごせばよいのかわからない」という人がよく居ますが、へそ曲りの私はその逆「自由に泳ぎ回れる環境の中で、自分でやり甲斐や存在意義をみつけ行動できることが嬉しい」「自分で責任を負って行うことに抵抗は余りない」「人跡未踏の地の開拓は大好物」。
慈恵医大を卒業し産婦人科医局に入り、しばらく勤務医生活を続けましたが、やがて「自分は組織に属する勤務医という環境には向いていないな」「もっと自分の裁量で自由に羽ばたけるのが良い」「全ての責任を負うことになっても、やるなら絶対に開業医」と思いました。入局2ヶ月後に突然 父が脳溢血に倒れ大橋医院を継がねばならないということもあって、3年という短期間で一通りの手術を含む仕事を経験させて頂き開業しました。
やがて東京都医師会理事を仰せつかったとき、自分で「医療情報部」という部署を創設し担当理事となりました。これは私の尊敬する懐の大きな唐澤会長の元であったからできたことかも知れません。そこで「HOT project」というプロジェクトを立ち上げました。HOT は Health of TOKYO の略(「都民にホッとしてもらえる」という意味もあったりします)、「医療に IT の力を活かし都民の健康を守り向上させる事業」。自分としては頑張ったつもりですが、私の説得力のなさのため「笛吹けど踊らず」、そのための仕組み作りは進んだものの目に見える実績を残せぬまま役職を去ることになりました。でも、仕事はとても楽しく、後へ続く布石は残せたのではないかと思っています。
いつも私の切り開くものは世の流れより早すぎ、現状に結びつかないことが多い。「電子カルテ」もかつてはそうだった。 HOT で実現させ実際に稼働していた「電子処方箋」、あれから20年ほど経た今になって国は盛んに電子処方箋をうたっている。
私の両親はとても夫婦仲がよく子供たちにもやさしい親でした。そんなこともあり地元小学校の頃はお坊ちゃんで過ごし(今になって考えれば、医師で PTA 会長も務めた父の影響で周りからそれなりの忖度を受けていたのかも知れません)、麻布中学・高校に入ると同級生たちが皆 利発で優秀な生徒に見え私は萎縮し目立たぬ存在でした。
そんなことで それまで親への依存心が強かったのが、大学に入ってガラリと変わりました。慈恵医大馬術部に入ってからです。まったく新たな世界、萎縮し依存心の強かった私を知るものなどいません。世話好きの先輩たちにも恵まれ、体育会系の世界で水を得た魚のように生き返りました。当時の学生馬術は軍隊馬術の影響を色濃く受けており、騎兵上がりの三浦教官の軍人らしくキリッとしたところと、一方でとても親しみやすい好々爺的なところなどに接するうち、自立心を持って前向きに物事に取り組む姿勢が身についてきたと思います。
慈恵医大を卒業し入局2か月目に突然 父が脳溢血に倒れました。まさに青天の霹靂、その瞬間 私の人生は劇的にスイッチします。大橋産婦人科と母や弟など家族を支える大黒柱としての責任を重く感じ心は引き締まりました。これが本格的自立心への決定打だったと思います。それまでの父という偉大な大黒柱の下で家族が安心して暮らしていた世界は、一瞬にして二度と戻らぬ世界へと変わったのです。今でも前の世界を懐かしく感じますが、それはそれ、今は今、、ですね。今朝も久しぶりに、父の運転する車の助手席にいる夢で目が覚めました。
今年のサラリーマン川柳が、第一生命から発表になりました。
上位10作品は以下の通り、どういうわけか全てカタカナで始まる句ばかりだね
1位 キャッシュレス 充電無くなり 無一文
2位 パスワード 記録したけど 記憶なし
3位 ミャクミャクと 続く気配の 物価高
4位 パスワード 思い出せずに また初期化
5位 ロマンスは 昔は神様 今は詐欺
6位 デコピンは きっと俺より 高い飯
7位 ポイントを 気にするあまり ついで買い
8位 キャッシュレス 増える決済 減る貯金
9位 セルフレジ タッチパネルで 店主呼ぶ
10位 パパは、居る? パパは、いらない 娘 言う
では、私からも一句(カタカナ始まりじゃないよ)
「りくりゅう」は素敵だけれど「トクリュウ」はイヤ
上記10位の句で思い出しました。読売ジャイアンツの阿部監督が涙をこらえ辞任。理由は、飲酒していた彼が娘たちの姉妹喧嘩をとめる際18歳の娘が言い返したのにムカッときて押し倒すなど暴行を加えた疑いで逮捕されたとのこと。どうすればよいか 娘が chatGPT に尋ねたところ児童相談所を提案され、児相に電話したところどうすればよいかの回答はなく、いきなり児相から警察に電話、警察がやってきて父親を逮捕。
18歳の娘は予想しなかった展開に泣き崩れ「今では父とは仲直りしています」とのコメントをだしたものの、この報道は声高にマスコミを騒がすことになりました。今後もあることないことマスコミや SNS など無責任な声に晒されるであろう監督もそうだが、娘さんのショックもかなりのものが予想される、PTSD にならなければよいが
「AI へ相談」「父親の暴力と即断され警察へ通告」「警察による有無をいわさぬ逮捕」。本来なら家庭内のちょっとしたイザコザで終わったものだろうに、マスコミそして SNS などで大々的に騒がれてしまった。こうして一度広まってしまったものは「覆水盆に返らず」。過去に女子高校生により仕掛けられた「痴漢の冤罪」などもありましたが、現代社会の恐ろしさを思わせる事案でした。コワイですねえ
80余年もの長い期間、平和の中にいられた日本ですが、最近はこのような意味でのコワイ事象が現れてくるようになりました。トクリュウによるオレオレ詐欺に始まり、ネットで集められた素人さんによる強盗の頻発などもそうですね。昔のヤクザさんは「素人さんに迷惑かけちゃなんねえ」なんて仁義がありましたが、限度を知らぬ素人ほど怖いものはない(最近では何と高校生による強盗で滅多刺しの殺人も。強盗本人がパニックになったに違いない)。
早朝散歩には、8年間ずっと mont-bell のトレール・ウオーカーを使ってきた。そもそも8年前の金時山へ登山のため購入したのがきっかけ。「登山なんて今後もう行くことはないだろう」と思ったので「買うなら毎日の散歩に使える靴」ということで尋ねた結果トレッキング用なら散歩にも使えるということだった。登山用だけあり作りがしっかりしていて、履きこなすまでは踵を擦りむいたり苦行が必要だったが、履き慣れてくると非常に頑丈な作りで安心感あり、2,3年ごとに履き潰しては同じものに買い替えてきた。
しかし昨年あたりから この気に入ったタイプがなくなり、もっとスリムなタイプに変わってしまった。気長に履き慣らそうとしてきたものの、甲や拇指球などが当たりがちでイマイチ。それでも半年以上我慢して履いてきたのだが、先月の雨中歩行でビチョビチョに濡れたせいか靴が縮んだようで、先日の馬事公苑まで往復17キロの歩きの後は足が痛くて仕方がなかった。半年ちょっとで買い替えるのは癪だが、拇指球のところがキツすぎて破裂してきつつあったし買い替えることにした。
ワンサイズ上のものを購入するつもりで mont-bell へ出掛けようとすると、家内が「私も娘もニューバランスのスニーカーでとても具合が良い、貴方もニューバランスにしたら」ということで、以前から関心のあったニューバランスを使ってみることにした。玉川高島屋SCのニューバランス専門店へ行くと、若い男性店員が丁寧に接客してくれ足の測定機で測定をしてくれた。思っていた通り左が幅広甲高で、つま先は右の方がやや長いという結果。最近は眼鏡店もそうだが、靴店も足を精密に計測できるようになっているのかと、その進歩に今更ながら驚く。
翌朝いそいそとニューバランスのスニーカーで散歩へ、新しい靴にありがちな最初の違和感まったくなく足にフィット。予想通りの弾力で疲労感も違うようだ、いつものベンチ休みまでの間隔も長くなった。防水でも湿気を逃がすということだが、長く歩くうちにトレール・ウオーカーにはなかった足の蒸れ感がでてくるようだ、、「折角、弾力少ない登山用に慣らした身体を、快適なスニーカーの弾力でなまらせてしまうのは残念」などという意固地な考えも過ぎったが、やはり疲労感少ないのは良いことだと思うことにした。大谷翔平くん夫妻がニューバランスを愛用しているというのは別にして
近年の6月は、かーっと暑くなって夏日はおろか真夏日の続くことが多いのが普通になっていましたが、今年は珍しく比較的涼しい日(近年との比較というか、あくまで私の感想)が続いてくれて助かる。早朝散歩に出る5〜6時頃の気温もまだ20度に届くことは少なく、何より有り難いのは湿度が余り上がっていないので肌に触れる空気が涼やかなこと。それでも歩くうち日が射してくると暑くなり、日陰を選んで歩く(寒い季節には逆で、日向を選んで歩く)。
ここのところ非常に身体が怠い状況が続いています。今の季節これは毎年のことで、もっと暑くなって汗腺が開き全身汗びっしょりになるようになれば解消されるのだが、それとも老年性のものか、恐らくその両方だろうと思うのですが。そんな怠い身体を騙しだまし、何とか1日7キロ目標に歩いています。カラ梅雨の年もあるが、今年は梅雨らしい気候で雨の朝も多く、早朝散歩をパスすることも多い。月間歩行距離150キロは達成できそうもないが、100キロは越えそう。
歩き始めても身体の怠さが解消されず2キロ弱にショートカットして帰ってきてしまう時もあれば、「おう、今日は調子よさそう」と7キロ以上しっかり歩ける時もあるなど、足取りにムラのあることが多くなった。夜中のトイレ回数が多かったりトイレから帰ってすぐ寝付けなかったりで睡眠の質が悪いとテキメンに歩きは落ちる。
歩法は、「着地した足腰を沈み込ませ、その弾力を利用して弾むような歩き」をめざしながら、もっと疲れてくると「ゆっくり着地した足腰でしっかり大地を踏みしめ、片足でも倒れないようバランスを保ちつつ、反対足を前方に伸ばし大きめの歩幅で」。それでも歩きがフラつく心配があれば「体幹をしっかり保ちながら歩く」意念をもつことにより、フラつきを防ぐことができる(マラソン解説者が「この選手は体幹がしっかりしていて良い走りをしてますね」というのを聴いて「なるほど、体幹が走りを安定させるのか」と悟った次第)。
84歳になっても若い頃考えていたようなヨボヨボ感なく「今までと さして変わらないじゃん」と思うが、よく考えてみれば老化はそれなりに粛々と進んでいる。変化はゆっくりなので気がつかないだけ
歩き、「疲れを知らず地平線のどこまでも」なんてことはなくなった。歩いてる方とは思うんだが
身のこなし、ふと気がつくと「ジジイだな」と姿勢を正すことも
頭の巡りが落ちてきた。カラオケの字幕を先読みするよう努力しないと歌詞についてけなかったりする
頭の「ふらふら感」は大分前からあるが、次第に強くなったり頻度が多くなってきている。先日の夜、それがかなり強くて「ヤバイな、これって脳梗塞の前兆?」と不安になることも。一晩寝たらすっかり治ったが、きっとこれも脳循環の不良から
認知症なんて関係ないと思ってたけど油断禁物かも、こうしてモノを書くのは認知症予防に良いらしい
視力も落ちてきた。眼科検診での視力は決して落ちてはいないんだが、散歩していて気がつくと周囲がぼんやりしている。どこかに焦点を合わせればしっかり見えるんだが。「眼球の性能は落ちていないが、それを認識する脳の機能が落ちている」ということだと思う
呼吸筋の働きも落ちてきたようだ。散歩でも意識し深く呼吸するようにしないと脳の酸素不足で視力が落ち、ひどい時は夢遊状態で歩いているような
椅子に座っている時間が多い、つまり廃用性萎縮によるものも。もっと身体動かさなくちゃね
嗅覚も落ちてるね。余り不便を感じてはいないが
聴覚も多少落ちてるんだろうが、自覚はほとんどない
腸の蠕動も落ちてきたようだ。便秘なんて若い頃には全く経験したこともなかった。食事や必要に応じ便秘薬などで補っている
夜中に小用で何度も起きる。一度尿意を催すと途端に我慢できなくなるのも老化の特徴
若い頃はどんな騒がしい所でも横になればバタンキューだったが、近頃はそうもいかない時がある
こんなこと恥と思うことなく平気で書けるようになったのも「年寄り」だね
昨年あたりから人の暮らす地域やその周辺でのクマの出没や被害情報が目立つようになっています。クマは人を避けると云われ人里に現れることは余りなかったのに何故? AI に聞いてみた
山林の餌不足と気候変動:クマの主食、木の実や果実には数年おきに凶作・豊作のサイクルがあるが、気候変動でそのバランスが崩れ広範囲で凶作になる年が増えている。温暖化の影響で冬眠の期間が短縮し活動期間が長期化、それだけ餌が必要になっている
里山の荒廃:薪を拾ったり定期的に草を刈っていた里山が人間と野生動物を分けるバリアだったが、農山村の高齢化や過疎化により里山の手入れができなくなり、藪が生い茂るなどしてクマが移動しやすくなった
魅力的な餌の放置:後継者不足などで収穫されず放置された柿や栗の木、耕作放棄地の作物、生ゴミや家畜の飼料など、クマが楽に手に入れられるご馳走が増え、それを学習してしまった
クマの個体数増加と生息域拡大:クマ保護政策により天敵がいないこと、ハンターの高齢化・減少により個体数が増加。山奥のキャパシティを越え、若いクマなどが新しい生息地や餌を求め標高の低い人間の生活圏へ進出
人を恐れない都会型クマ(アーバンベア)の出現:これが近年最も危険視される。本来クマは人間を避ける習性を持つが「人里に行けば山で苦労して捜すより楽に美味しいものが食べられる」と学習する個体が増え、親子での行動により これが次世代へと受け継がれる
恐怖心の麻痺:幼い頃から人里近くで育ち、車の音や人間の気配に慣れてしまったクマは人間を過度に恐れなくなり、アーバンベアとして白昼堂々と市街地・商店街・住宅地に侵入するようになる
つまりは「気候の温暖化」「住民の高齢化や過疎化」などに起因するということで、我が国の現状を如実に表すものなんですね
わが大橋家のルーツを探り、かなり確度の高そうなものが見つかりました。私の父から聞いていた「ご先祖様は江戸時代、火消し奉行をしており赤坂豊川稲荷のあたりに屋敷があった」という情報をキーに AI に尋ねたところ「江戸中期に赤坂の火消し屋敷に住んでいた大橋親義という火消奉行がいた」という情報。親義は現在の神奈川県綾瀬市あたりに所領を持ち、そこの長龍寺には現在でも大橋氏一族の墓が市の指定文化財として残っているとのこと。この方は、火消し奉行から長崎奉行や大阪奉行、最後は勘定奉行という江戸幕府の重要なポストにまで登りつめましたが、宝暦の世を騒がせた「郡上一揆」に関与して改易となり大橋家は断絶。ひえ〜、それじゃ、うちのご先祖様じゃないってこと?
しかし更に調べるうち、江戸末期にも火消し奉行で赤坂の屋敷に住んでいた大橋親蔵という旗本がいたことが判明。こちらもその後、外国奉行(AI による別調査によれば「大橋親蔵(貞次郎・内蔵之助)の本来の経歴を幕臣の名簿で追うと、彼は外国奉行のような外交・財政専門職ではなく、将軍の警護や江戸城の守衛を担う「御書院番」いわゆる番方・軍事職に所属していました」という報告あり)。維新後は徳川家に従って静岡へ転地の記録あり。
大橋親蔵が赤坂に住んでいた頃、私の祖父 重房は2、3歳ということから、親蔵が私の曾祖父である確率がかなり高いことがわかり、その夜は頭が興奮しなかなか寝つけませんでした。「親」という文字を冠する名前や経歴などから、勘定奉行を務めた親義の子孫の可能性が高い。おそらく子孫も高い能力を持ち、お家再興を果せたのだろうと思っています。
今年の6月は雨は多いものの気温があまり上がらない日が続き、今のうちに大橋一族の眠る長龍寺を訪れることにしました。最近は目黒線が相鉄線に乗り入れ、武蔵小山から乗り換えなしで海老名の一つ手前「かしわ台」まで、そこから4キロほど歩けば長龍寺へ着きます。4キロは毎朝歩いている距離、street view で経路の景色を事前学習し準備万端。家から1時間半ほどで、かしわ台到着。かしわ台駅はホームから東口改札まで両側柵で囲われた中500m以上も歩かされる構造( AI で調べたら、東口は線路など周囲の状況からホーム直結にできず、離れた別の廃駅舎を使っているため)。
改札を出て street view で事前に見ていた景色を淡々と歩く。google ではずっと平坦な道となっていたが、長い登り下りが延々と続きトラックなど大型車が行き交う面白くもない道。距離としてはいつもの早朝散歩の範囲だが、知らない道ではやはり疲れが違う。結構ヘロヘロの手前になりながら長龍寺到着。門を入ると左に「大橋氏一族の墓石群」の説明書き。いかにも江戸時代を思わせる古い墓石群が並ぶが、苔むし痛んだ墓石に刻まれた文字は殆ど判読不能。お寺の庫裡を訪ねると年配の女性。大橋一族について尋ねるも「私の方ではお預かりしているだけで判りません。お墓を管理している綾瀬市の史跡課に尋ねてください」の一点張り。半分予期していたが、半分がっかり。
幸い綾瀬市役所は寺から500mほどで市役所を訪れる。立派な建物の玄関を入ると、すぐ受付の女性が寄ってきたので「長龍寺の大橋一族の墓について知りたい」というと別の女性が対応。しかしどうも話が噛み合わない「大橋家のルーツを知りたい」と最初に言ったためか、先方は「それなら戸籍からたどるべき」。こちらは「戸籍は私の地元でも尋ねられる。そうではなく長龍寺の大橋一族について」と何度か説明し、ようやく「それなら5Fの生涯学習課へ」。5Fでは生涯教育課の市史文化財担当の高橋さんという方が対応してくれ、大橋一族に関する資料で説明をして頂きました。あくまで長龍寺の大橋一族のことしかわからないとのことでしたが、それでも江戸中期の7代に渡るご先祖様について貴重な記録を得ることができました。
帰りも、かしわ台まで5キロほどヘロヘロになりながら歩くことを覚悟していたのですが、市役所玄関を出ると目の前に「海老名駅行き」バス。それに飛び乗り海老名駅前で昼食。大好物の刺身定食と生ビールで満足、満足。海老名から乗り換えなし一本で武蔵小山帰着「や〜、疲れたぜ」
長龍寺:江戸中期の大橋家の菩提寺